今年もよろしくお願いいたします。
新名古屋駅、新岐阜駅・・・・
名古屋にいると、僕たちの世代では、『新』と名のつく駅はとてもなじみが深いものです。
と、いうわけで。
新年なので、新なのに八日町駅より断然アジがあり過ぎる不思議な駅、新八日町駅にいってきました。
昔、昔、近江鉄道には、父親といっしょにお弁当を持って乗りにきた事があります。
お弁当は確か、愛知川駅だったか・・・
近江鉄道独特な雰囲気の、木造駅舎に踏切がある、小さな小さな駅で食べました。
麦の季節だったので6月だったと思います。
待合室でお弁当を広げ始めると、駅員さんがお茶をいれて出してくれた記憶があります・・・
今となっては、どんな話をしてくれたのか?どんな駅員さんだったのか、当時の事をはっきりと思い出せるような写真もメモも残っていないのが残念でなりません。
最近(といっても数年前ですが)、近江鉄道には、子ども達と乗りにきました。
乗かえの時、写真を撮らせてもらっている時、駅員さん、運転士さんの優しい対応にじーんとしてしまいました。
特になにっていう訳ではありません。
でも、とにかくほんとうに、愛すべき鉄道です。
美濃北方駅
そして気になっていた旧揖斐線、美濃北方駅にもいってきました。揖斐線廃止から数年間残っていた、美濃北方が取り壊されていました。
ここへついたのは、夕暮れ時。
街の様子は明らかに変化していました。
この美濃北方駅は、僕にとって、とても意味のある思い出の駅のひとつです。
揖斐線の末端区間、谷汲線が同時に廃止される前に、この駅が無人化される事になりました。
それを知り、いてもたってもいられずに前日まで続いていたスタジオ撮影から帰宅して、すぐに美濃北方駅に向かったのです。
駅長さんの取材をしたかったからです。
事前に連絡も取れずにカメラだけを持ってきた僕は、駅長さんに何をどうやって説明すればよいか迷っていました。
そんな僕の様子に気づいた駅長さんが、すぐに僕に声を掛けてくれたのです。
駅があった時は、駅長さんがいた時は、この駅が街の中心として機能していたように思います。
毎朝、ご近所の方々がこの駅に集まっていました。
通勤、通学の人達でこの駅は賑わっていました。
電車に乗る人も、乗らない人も、この駅を利用していました。
当時の僕は、無人化、廃止という事柄に目がいってしまっていたように思います。
記録するべきもの、伝えていきたいものはもう少し別のところにあったのだと、なくなった駅舎を見ていてはっきりと意識できるようになりました。
今年は、基礎の反復をこつこつとしていく年にしたいと思います。