名古屋ご近所さんぽ発売!カメラマンの僕が原稿を書くために実践した簡単なこと

名古屋ご近所さんぽ
名古屋ご近所さんぽ 風媒社


お陰様で、名古屋ご近所さんぽ 風媒社2021.10.14に発売決定しました。
おさんぽ写真の楽しみ方、撮り方のコツについて、8ページのテキストと写真が掲載されています。

風媒社さんは、僕が(たぶん)一番最初に写真集の企画を持ち込んだ出版社さんです。
その時は形にはなりませんでしたが、20代の頃でしたから、何年越しになるでしょうか。
子供が小学校を二回卒業しても足りないぐらいの年月を経て、お仕事をいただくことになりました。

まず、僕を起用してくださった編集者さん、撮影に協力していただいた皆さん、取材活動を続けてこれたのは、写真のお仕事のたびに僕に声をかけてくださった皆さんのお陰です。
本当にありがとうございました。

実は、この本で撮り方のコツを書いておりますが、仕事を受けた時点では、町歩き、お散歩写真については全くの初心者でありました。
そんな僕でも、名古屋ご近所さんぽに書いた通りにやってみれば、本に掲載されるレベルの写真は撮れるということです。
ただひたすら撮るだけでしたが、当初、本の中程に掲載予定が本文の一番前へ、6頁だったボリュームが2頁増の8頁になりましたから撮り方は間違いありません。

仕事を請け負った制作側の立場から見ると、編集者さんの注文通りうまくいったということになると思います。
撮影としては、たまたまお話いただけただけで誰でもできる内容ですが、仕事としてみると難しい部分がいくつかありました。

そんな中で、この結果を得ることができたのは、最初に立てた目標があったからだと気づくことができました。
取材の様子や仕事の流れ、どのように目標を設定したかなどについてまとめておきます。

仕事の流れ

おさんぽ本のお話をいただいて、一年以上経過しているでだろうか。
『おさんぽ写真について、撮り方や楽しみ方のコツを6ページ分お願いします』
話を詳しく聞いてみると、10人ほどでご近所散歩の楽しみ方について掘り下げた原稿を作るので(サイクリング、歴史、公園など)、写真のコーナーを僕にお願いしたいとのことだった。

今、僕の目の前にいるのは、駆け出しの頃、企画を持ち込んだ先の編集者さん(仮に田川さんとしておこう)だ。
その後、随分年月は経っているけれど、年賀状のやり取り程度のお付き合いを続けていただいていた。

企画を持ち込んだ時は成立しなかったけれど、丁寧に見ていただいて、ご助言いただいたことはとてもありがたく、お時間いただけたこと今でも忘れていない。

でも、その時は、どうしても納得できず『地元で仕事がしたいなら、東京に行ってから戻ってきた方が早い』と感じることもできた。

『名古屋でダメだったんだから、東京に行っても相手にもされないかも・・・』
弱気になりかけたけれど、ここで結果を受け止めて挫折する気持ちにはなれなかった。

この出来事が、東京の出版社さん巡りをするきっかけになり、写真をみていただく機会を得ることができ、自信が確信に変わるようなよい経験になった。
だから、地元で形にならなかったことは残念であるのは間違いなかったが、すぐに心から感謝することができた。
これも全てツキがあったのだ。

その後、写真集を出版、随分と時間がかかってしまったが、念願だった『月刊たくさんのふしぎ』の撮影を経験して、お礼を兼ねて田川さんに結果報告をすることができたのだ。
(この時点でも、出会ってから20年ほど経過しているが、ポスターを持っていった僕との再会を喜んでいただけた。この時の対応にも本当に感謝している)

それから、何度か近況報告を兼ねて食事をご一緒させていただいたりして、その席で作品や本作り、地域や街について語り合う中で『こつこつと地道な作業の積み重ね』を続ける田川さんの姿勢に尊敬の念も持っていた。

そんな時を経て、この話に繋がったのだった。

田川さんがいなかったら、今の僕は存在しない。
仕事ならばどんな条件でも断る理由が全くなかった。

僕は仕事の撮影以外に作品集なども作っているから、田川さんは、僕が日常的に街の記録を撮っていると思い込んで仕事をくれたのかもしれない。
だけれど、僕は、町の記録などの写真も好きだが、自分で撮るのかといえば、興味はあるけれどそのような写真は撮ったことや、撮ろうとして考えたことすらもなかったのだ。
それぞれの得意分野を生かして原稿を書かなければならないが、僕は、おさんぽ写真が得意かどうかすらわからない。

だから、おさんぽ写真の楽しみ方やコツについて書くならば、
今回の仕事は好きになって、どっぷりこれにハマること
そう考えた。

写真撮影については、イージーだ。
誰でも撮れると断言できる。
本に詳しく書いてあるが、ただ普通に撮ればいい。
形だけを整えるつもりならば、三日もあれば済ませられるそういうものだ。

だけれど、ほぼ一年、空いた時間は全て町歩きのおさんぽ写真につぎ込んで、寝ても冷めてもおさんぽ写真のことを考えるぐらい、自分なりに楽しさを感じられるようになった。
撮影のきっかけは仕事の依頼だった。
しかし、この本のために用意した写真、文章は、これがベストではないだろうが、好きなふりをした作りモノではなく、おさんぽ写真にハマった結果を詰め込んだ本物の内容であることは保証する。

余裕がある時に Facebookに様子をあげていたが、投稿を見て僕の撮影頻度を知っている方は、6頁分の撮影と知ってびっくりする人もいるだろう。

具体的にどのような目標設定をしたか

緑区のタバコ屋さん
お気に入りのお店。このタバコ屋さんは取材中に無くなってしまった



『撮ったこともない撮ることもないと思っていたおさんぽ写真を好きになる』といっても具体的な目標設定が必要だ。

『名古屋市内の路地全てを網羅する』

取材開始にあたってこのような目標を立てた。

実際に、現時点で、名古屋市内の路地を全て網羅できていないが、この目標を立てた理由は、 おさんぽ写真初心者の僕が『名古屋市内全ての路地を網羅した』といえば、原稿に説得力が出るだろうと考えたからだ。

早い段階でこの目標を立てたのが効いた。

目標達成のためには、とにかく自転車なり、地下鉄、車を使って散策を繰り返すしかない。
目が覚めたら、顔を洗ってカメラを持って出かけるだけだ。

何も考えることはない。
数日で、自動的にそうできるようになった。

ベストキッドの『ワックスかける、ワックスとる』と同じ状態だ。
体に染み込ませることができれば、仕事で出かける時も、お買い物へ出かける時も、町の様子が勝手に飛び込んできて、気がついたら撮っていたそんな状態になれるのだ。

いい写真を撮る(これも必要だけれど)などと考えていたら、きっとこれほどのめり込むことはできなかったはずだ。

どう撮るのか?

この本を見て、おさんぽ写真やってみようかな。
読者の方にそう思ってもらえるようにするのが田川さんと共有しているゴールだった。
かっこいい写真を掲載するのも一つのやり方だと思うけれども、難しそうな写真になっても良くない。

簡単だと思ってもらえるようにしたいし、おさんぽ写真は、町の貴重な記録にもなる。
凝った撮り方をしてしまうと、記録性が失われてしまうのだ。
記録は、長い目で見れば地域の財産にもなる。
何かとスピードの速い現代では、10年どころか5年も経てば、写真が記録として輝きを増すだろう。
ということは、手を加えず、広めのレンズでまっすぐ撮る。

僕は、数年前、写真教室の講師を担当させていただいた時にも、
『手を加えず、広めにまっすぐ日常の風景を撮り続けることができれば、それだけで本を出したり、掲載の依頼が舞い込むようになる、プロになるもっとも確実な方法だ』と言い続けてきた。

だからその通りにやればいい。
田川さんの意向は、写真をたくさん並べるページも欲しいとのことだったので、右左などレイアウトの制約を受けない正面の写真は好都合だった。

取材を続けながら悩んだこと


千種区のタバコ屋さん
タバコ屋さんは夕暮れに撮りたくなる 千種区


まず、広めのレンズで情報を多めに、記録性を重視して撮影を続けていたが、写真を掲載するだけでなく、楽しみ方、撮影のコツを文章にしなければならない。
本のサイズが小さいので、文章のスペースを考えると写真の扱いもびっくりするぐらい小さくなる。
広く撮っていると、何が写っているのかわかりにくい。
しかしアップにすると、情報量が少なくなり記録性が失われる。

記録性をどこまで重視するか悩んだが、これは、折り合いをつけながら・・・というしかないが、最後まで具体的な解決方法はなかった。

さらりと撮っていくのが普通だと思うので、なるべく一箇所一回で済ませたかったが、なかなかそうはいかなかった。
光線状態が悪い時もあれば、天候が悪い時もある、朝被写体を見つけて夕方の方がいいなと思ったら、また戻ることもあるし、戻るつもりで戻れなかったこともある。
どんな悪条件でも撮りきるラフさが必要かとも悩んだが、見せることを考えると欲が出てしまった。
数回通ったこともあるし、どうしても良い状態で撮りたい時は日待ちをしたりもした。

お仕事の話をいただいた時は、コロナがそれほど問題になっていなかったように思う。
しかし取材に入ると、随分と外出、移動に制限を受けるようになってきた。
町の様子のみと思っていたので、人物は考えていなかったけれど、結局、思った以上に人物の写真もある。
町を歩いていてカメラを持っていると、たくさんの人と出会うこともでき、町の様子を聞かせていただいて、連絡先を交換したり、頑張ってとアイスクリームをご馳走になったこともあった。
カメラを持っておさんぽをしていなければなかった出会いだ。
このような出会いがあることが、楽しみのひとつでもあるのだが、この状況でどこまで交流を大切にすることを書いていいのか迷った。

僕は、自然な様子を撮りたいけれど、『カメラで撮ります』とはっきりと分かってもらって撮るのが理想だと思っている。

被写体は個人商店を中心にした

おさんぽ写真といっても、被写体は様々だ。
街角の自然、神社やお寺といった信仰、狭い路地、建物。
数回取材を続けているうちに、商店街、市場、個人商店に目が行くようになった。

途中、なぜ撮っているのかもやもやしてきたので、自分のFacebookに考えをまとめてみた。


何で撮っているのか?

もやもやとして、納得できなかったのだ。

どうしてだろうと考えてみたら、閉じてしまったお店と開いているお店を同じように撮っていることが原因だと気がついた。
『軽さ』は必要だとはわかっているけれども、レトロ、アジ、ゲキ渋だといって、それを楽しんで撮る感覚は、残念ながら持ち合わせていない。
(仕事なのだから、むしろそういった『面白さ』に徹することができるのがプロなんだろうけれど)

もやもやする度に、記録のためと自分に言い聞かせていたけれど、最近になって、今カメラを向けているのは、個人商店に対するリスペクトなんだと気がついたのだ。
僕は、駄菓子屋さんや市場でお買い物を覚えた。
社会の身近な入り口が個人商店だった。
学校の行き帰り、いつも僕たちを見守ってくれていたのもお店のおじさんやおばさんだった。
遅くまで公園でたむろしていると、『早く帰れ』と本気で怒りにきてくれたのは、自他共に認める『商店街の父』こと、スポーツ店のオヤジさんだった。

もちろん、大型スーパーやチェーン店がないと不便極まりないことは確かだ。
とても便利だけれど、そこでは、温度を感じられる機会が少ないのだ。
個人商店は、町の温度そのものかもしれない。
僕は、町の温度やそのかけらを片っ端から見つけて撮りたい。

『企画を通じて、そんな町の温度を残していきたいし表現したい』

このように感じて取り組むことができた。

取材を終えて

自分が暮らしている名古屋を好きになりました。
そして、たくさんの出会いがあり、写真の楽しみ方が増えました。
名古屋独自の文化、信仰(屋根神さま)、お客さんが減った市場、商店街に個人店。
見て回ったお店、出会った人たちの優しさや温かさが、町の温度を保っているのかもしれません。

古いものが全ていいとはいいませんが、どれだけ変化したとしても残していきたいと思えるものが、身近にたくさんあることに気づけました。

僕のPCには、撮った写真が溢れかえっています。
取材中に、無くなってしまったお店もいくつもあります。

令和初期の名古屋の様子として、おいおい共有していけたらいいなと思います。

何年後かに、町の様子が残っていてよかった、そう思っていただけたら幸いです。

地元で初めて仕事をする機会に恵まれました。
ありがとうございました。

masaki
駒田匡紀(こまだ まさき) 1971.6.13 フリーカメラマンです。 撮影や取材など、お問い合わせは、コンタクトフォーム、メールをご利用いただけます。

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