すてきなタータンチェック単行本化!ツキを呼び込むためにやったこと

月刊たくさんのふしぎ『すてきなタータンチェック』が、『傑作集』として単行本化されました。

写真を志してから、いつか『たくさんのふしぎ傑作集』に撮影した写真を載せられるようになるぞ!
と、思ってやっていましたから、目標のひとつにようやく到達することができました。
ありがとうございます。


すてきなタータンチェック
最終ページ用にいくつか撮影した中の一枚



今年は、ツキにツイてます。
聖火ランナーの公式記録カメラマンとして、メダリストの高橋尚子さんの撮影中、もうダメだというところで『他の報道カメラマンが打ち込んだストロボに同調し』絶体絶命のピンチも切り抜けることができましたし、来月には、名古屋のお散歩本が発売予定、12月に発売予定の愛知県を題材にした本のグラビアページを担当させていただきました。

僕はセンスが特別良いわけでもありませんし、ただ撮るだけです。
それでも目標に到達できたのは、ツイてる以外ありません。
という訳で、まだまだ高みを目指さないといけませんが、実際にどのように仕事を進めたのか簡単に交えながらツキを呼び込むために意識したことを記しておきます。

ツキを呼び込むために効果的だったと思ったこと

たくさんのふしぎの単行本に自分の写真を載せる。
この目標は、谷汲線の写真集を作りたくて、あちこちに企画を持ち込んでいた頃に設定した目標でした。
そのころは、『自分の写真。俺が、俺が』と頑張っていました。

この時は、岐阜新聞さんから出版していただき、その後、クムランさんから復刻版として再編集後出版、それをきっかに企画した写真展で、ラジオ、NHKの全国放送などで取り上げていただくこともできました。(NHKに出るというのも目標のひとつでした 笑)
が、企画を持ち込む機会もいつの間にかなくなり、いい意味で『自分の作品』という気持ちが消え、『写真で最大限貢献する』そのように考えが変わってきました。
そう思うようになったら、目標に到達していたという訳です。
(起用してくださった担当者さん、ありがとうございました)

あれほど、見てください、使ってくださいとお願いしていたのに、『撮ってください』と、お願いされて目標が叶うなんて!

貢献することに集中したことで起こったこと

自分が自分が、そう考えていた頃より、格段に心が平和になりました。
写真に対するアプローチもシンプルなものになり、撮影が楽しくなりました。

『どのようにして評価してもらうか』
『どうしたら注目してもらえるか』
『どうしたら仕事につながるか』
これらは必要かも知れませんが、こういった考えは、競争、恐怖、不安そのものなのかも知れません。

こういった事柄に心を奪われてしまうと、決まって『貢献する』と、言い聞かせるようにしています。
すると、様々な不安が消え、イメージとエネルギーが湧き、閃きが降りてきて、必要なものが全て揃い、いい結果が残るのです。

忘れた頃に、僕には荷が重いと感じる仕事の依頼をいただけます。
そういった時は、毎回、とてもありがたく嬉しい反面、『自分にちゃんとできるだろうか?』『納得してもらえるだろうか?』 から始まって、取り組んでいる最中は『こんなに経費や時間をかけて大丈夫だろうか?』『ここまでやる必要があるのか?』など、様々な不安が頭をよぎります。
側から見ている先輩方も、
『そこまでやるなら経費がかかることを説明しなきゃ』
『もういいんじゃない?』
などと、助言をいただくこともあります。

でも『貢献する』ことに集中していくと、なんとか切り抜けることができ、結果的に他の仕事に繋がったり、『やって良かった』となる訳です。

具体的な仕事の進め方

参考になるのかわかりませんが、実際にどのように仕事を進めたのか簡単に具体例を書いておきます。

Lexus New Takumi Project

主に全国の地方紙を中心に各地の匠を紹介する企画の岐阜版を岐阜新聞社さんからご依頼いただきました。
過去記事に書きましたが、この時は、岐阜らしさを出すために、金華山と三人の匠を撮影しなければならないが、なんとかならないか?そんな内容でした。

『お世話になった岐阜新聞さんに恩返ししたい』という気持ちと、『写真で岐阜に貢献する』そう決めて動きました。
ロケハンを始めて早い段階で、金華山と匠という組み合わせは無理があると感じました。

それでも、岐阜を象徴する金華山は難しいことを納得してもらう為に、自分が最適だと思う場所数カ所、指定通り金華山を背景に撮れる場所を見つけて提案。

途中、こんなにロケハンを繰り返して『経費が・・・』『大変だな・・・』と弱気になりかけましたが、すべての条件が揃い、最適だと感じた場所で撮影を終えることができました。
その後、ご一緒させていただいた東京支社の担当者さんからも『何かあったらまた一緒に仕事がしたい』と言葉をいただき、巡り巡って大分合同新聞さんの撮影を担当させていただくことになりました。

たくさんのふしぎポスター『ダンボールの朝』

ダンボールの朝
ロケハンを重ねて決めた山頂にて

こちらは数年前、たくさんのふしぎにつけるポスターの撮影として、ダンボールおじさんこと檜山永次さんの作品の撮影依頼でした。
黒バックで、重厚感が出るようにという希望を聞き、作品を見る前にあれこれテスト撮影。
シンプルに作品を見せる方法もありかも知れないけれど、子供達に『詩』を感じてもらえるだろうか?
この作品を子供の心に残るようにする=編集者さん、作家の檜山さんが最終的に望む結果であり、写真で貢献することになるのではないだろうかと考えました。
『希望通りブツ撮り的に撮るならば、名古屋から僕を呼んで撮影するより、地元のカメラマンの方がもっと繊細に撮影可能だろうしみんなが幸せだ』『僕に頼む必要があるとしたらロケしかない』そう答えが出たました。

包み隠さず、ブツ撮り的な撮影にするならば、今回の場合は、(編集者さん目線で)僕に頼むメリットが見当たらないので、東京のカメラマンにお願いしていただくか紹介します。ロケになるなら撮りますがいかがでしょうか?と提案させていただきました。

ロケならやるといったのは、ロケにすればこの企画自体が成功すると確信が持てた反面、どのようなイメージで撮るか全く白紙の状態で、場所探しが一回ですんなり済み、撮影当日好条件にならない限り、仕事として割に合うとは思えなかったからだ。
自分でロケを提案しておいて、それを他の人にやってもらうわけにはいかないでしょう?

仕事の機会を逸するようで、不安がなかった、惜しい気持ちがなかったといえば嘘になりますが、『相手にとって一番良い方法を提案する事』これが仕事だと思ったのです。

ブツ撮りになってもお願いできますか?
ありがたいお返事をいただくことができた。

ロケハンを繰り返している僕に『駒田さんのお仕事として成り立つのか心配しております』
そういった言葉をかけていただきましたが、『僕ができる範囲でやっていますので、苦しくなったらまた考えましょう。それまでは大丈夫なのでお任せください』
そんな感じのやりとりだったと思う。

愛知、岐阜、三重と思いつく限り、車を走らせてロケハンを繰り返しました。
想像通りすぐにいい場所は見つからず、途中、『何やってんだろ』『意味あるのかなぁ』など、だれそうになりました。

色々とご心配やご迷惑をかけてしまったけれど、結果的に、ロケ地を山頂に決め、登ってきた朝日が偶然、檜山さんの作品に入り恵まれた条件で撮影を終えることができた。

納品後、トリミングと色について相談いただいた。
トリミングについては、比率が違うのでお任せするつもりで指定なし、色についてもどのようにでもなるように自然に、おとなしくしておいた。

編集者さんは、かなり作品が大きくなるようなトリミングを考えていたようだった。
写っているものが大きいとよく見えそうだが、逆に人に大きく写りすぎているものに人は興味を示さない(パッと見以上、見ようとしない、鑑賞してもらいにくい)ので、なるべく余白(背景)を活かしてもらえるようにお願いした。
色については、朝焼けの赤を生かすのか、影の部分の青を生かすのか迷っているようだった。

カメラ的にはどちらもありだ。
この状況で王道ならば朝焼けの赤を生かすけれども、僕なら影の部分の青を生かす。
日没後のなんともいえない青、日の出前の青を意識してもらえば良いと思うと伝えた。
トリミングは絶妙なサイズになり、色は、青を意識していただいたので、ダンボールの作品が引き立ったと思う。
朝焼けの色を意識していたら、どちらかというと同系色のダンボールが馴染んでしまっていただろう。

これが、今回の単行本に繋がっていきました。

ふしぎなタータンチェック

急遽、写真を使用することになったということで、東京に打ち合わせに。
お話をしてくださったのは、ポスターの時と同じ編集者さんからだった。

『急な話で申し訳ないけれど、お願いできますか?』
打ち合わせで見えてきた撮影は、生地見本+生地イメージだった。

『駒田さんなら、余計な手を加えずしっかり撮ってくれる、そんな安心感があるので』
今回、絵を担当されている穂積 和夫さんは、その世界では重鎮だ。
若い(僕もまだまだ若いけど)カメラマンの方にお願いできる撮影だと思うのだけれど、穂積さんのイラストを邪魔しないように、イラストの良さ、ストーリーを活かす意味で、安心感が必要そんな感じだった。
僕は、スタイリストさんが付いてくれるならいいけれど、自分で布をあれこれするのは苦手意識が強い。
そんなわけで荷が重い話だった。

生地見本、生地イメージだけだったら、布ものは苦手だし(得意なものなどそもそもあるのかって話ですが)ポスターと同じように知人を紹介しても・・・
そう考えていたけれど、最終ページの撮影で引っかかった。

これを撮影するのですが。
打ち合わせの机の上で出されたものを見た僕は、『マフラーですね。こんな風にマフラーとして撮りましょうか?』

物語をざっくり読んでみて、生地として写すよりも、マフラーとして写す方が臨場感が出るそんな風に思ったからだ。
机の上で、『こういうの苦手だから本当は極力避けたいけれど』と念をおしてささっとマフラーの形を整えた。

方向性は決まった。
ここで、『僕が撮るんだな』と思った。

当初は、打ち合わせ通り、白バックにマフラーのブツ撮り的に撮影を終えた。
編集者さんは何もいわなかったけれど、どうもしっくりこない。
編集者さんも、きっとしっくりこなかったのだろう。

『打ち合わせ通り、もう十分撮影したし』
『これ以上経費、時間をかけられない』

そんな気持ちもあったけれど、やっぱり何か違う。
『貢献しているといえるのだろうか?』『一番いい形はどういうものだろう?』『他の方法がいいと知っていてやらないってどうなの?』
もう一度、ラフのストーリーに目を通した。

そうか!打ち合わせの時に可能な限りシンプルにと思い込んでしまったけれど、ここでは、子供達にありありとマフラーを現実のものにすることが必要なことだったのか!
編集者さんからいただいていた、イメージにも目を通してみた。
遊ぶなとはいっていないようだ。楽しめといっているようだった。

色々とロケ地を考えた。
雰囲気のある部屋で、自分の手持ちのアーコールチェアを使って撮ろう。
その前に、どういうイメージになるかテストしてみたくなった。
普通のどこにでもあるような、子供達の身近な環境の中で撮った方がいいかも知れない。
ただのイメージとしての写真の完成度ではなく、現実的に、身近に存在するものとしての臨場感が大切なんだ。

撮影を終えて、十分だとわかっていたけれど、雰囲気の良い場所にもロケに行った。

それが最初のカットだ。
ドレープなど他にも色々とバリエーションを撮ったけれど、どうも環境を見せようとしてしまったようだ。
先に現実的な路線は撮れているので、広め広め、環境を生かしたバリエーションを撮った。
今思うと、ここで、もっと対象に迫っていても良かったかも知れない。

全てのカットを納品後、採用されたのはシンプルな方だった。
もし、『経費、時間』に囚われて、スタジオ撮影のみで終えていたらずっと後悔していたと思う。
もっと他に良い写真はいくらでも撮れたかも知れなかったけれど、喜ばれるにはどうするべきか?それに集中できたから、なんとか形にできた。
作者さんや編集者さんの力なのはいうまでもないけれど、単行本化という目標達成につながった。

ご協力をいただいた皆さんに感謝します。

振り返ってみると全てがツイてる

ここまで読んでいただいてお気づきかと思いますが、撮影のテクニックなど特別なものはなく、これがいいと思ったことに対して積極的に取り組むだけです。

仕事なので、予算、利益、時間など、条件的、常識的なことがあり、理想通りできない事が多々あります。
お金は、仕事をくれる人にとっても受ける自分にとっても大事ですが、まずは、『一番いいこと』は何か?検討する癖をつけるのです。
もし、閃いたら、躊躇わず提案するのです。
最初から3番目、4番目のものを目指しても、最終的に写真や本を見る読者の皆さんの利益にもなりませんし、編集者さん、その他作家さん、関係者の方々、撮影した僕、誰一人幸せにはなれません。

カメラマン、写真家が、夢のないことをいっていたら、面白くもなんともないでしょう?
自分の利益は大切ですが、自分の利益のことばかりの人に魅力も感じにくいですよね。
それに、最初から妥協したものには、必ずそれが写ると思います。

仕事ですから、最初から諸々難しい事が頭をよぎると、一番理想的な結果を得るために積極的に動こうとするのは難しいです。

そういった積極性を可能にするのが、まず貢献すると腹を決めることだと感じます。

本当は、仕事をくれた人のためになどと考えられるといいのですが、それでは自分が潰れてしまいます。
他人のためだけじゃない、自分のためにもなる、そんな都合の良い落とし所が『貢献する』だったのです。

めげそうになっても、自分のためになると思えたので、最低限なんとかなりました。
そして、よい循環が起こっていきます。

『貢献しようとする気持ちが人を幸せにする』そんな話を聞きますが、そうすると決めた時、 物事に集中し実力以上のことが可能になり、ありがとう、ツイてる、幸せだなぁと感謝することができるようになる気がします。

若い頃に思っていた、自発的に撮る純粋な『作品』とは違うのかも知れないけれど、撮っていて楽しく、生きている喜びを感じるのは、頼まれた事をきっかけに撮っている今の『作品』です。
こう思えるのも、ほぼ好きなように撮らせてもらえているからこそ。
こういう記事を書けているのも、協力いただいた皆さんのおかげです。
ありがとうございました。

masaki
駒田匡紀(こまだ まさき) 1971.6.13 フリーカメラマンです。 撮影や取材など、お問い合わせは、コンタクトフォーム、メールをご利用いただけます。

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