過去と向き合って気がついたこと

谷汲駅に保存中のあかでん
最近、特に意識はしていませんが、過去と向き合う機会が増えてきました。
最近、出版された『名古屋ご近所さんぽ』は、僕が最初に本の企画を持ち込んで採用いていただけなかった版元さんからの依頼でしたし、月刊たくさんのふしぎ『すてきなタータンチェック』の単行本化は、僕が若い頃目標にしていた仕事のひとつでした。

また、現在進めている企画では、二冊目の写真集の舞台になった川上分校を訪ねることになり、谷汲線でお世話になっていた方の娘さんから連絡をいただいたり。

僕は、数年前まで写真を辞めてしまおうと思っていた時期がありました。
数え切れないほど『大失敗』をしてきたと思い込んでいてもうダメだと考えていたからです。
そして、失敗と思い込んできた過去を乗り越えることができず、心のわだかまりのようなものが消えないまま。

でも、いつまでもそこに留まっているわけにもいかず、前に進まなければなりません。
自分自身、まだまだこれからなのですが、同じように、何か壁にぶつかった人の参考になるかもしれませんし、気づいたことがあったので書き留めておきます。

谷汲駅で家族写真を撮った

谷汲線 車内
谷汲駅で出発前のひととき



「どうしても駒田さんに家族写真を撮っていただきたいのですが」

依頼主は、名鉄谷汲線の運転士だった『晴さん』の娘さん由美(仮名)さんからだった。
晴さんは、僕が谷汲線の取材を始めてすぐに、顔見知りになった運転士さんだった。
人気がない谷汲線で、晴さんと出会ったことで、撮影の楽しみが増え自然と撮影の回数も増えた。
この運転士さんとの出会いがなかったら、恐らく、写真集を出版できるほど通うことはなかっただろう。

写真集出版後、谷汲線は廃止、その数年後、晴さんが亡くなられたことを知った。
手を合わせに行きたかったが、連絡も取れず、そのまま年月だけが過ぎていたのだった。

由美さんいわく、父が仕事をしている時の写真を、鉄道ファンでもあるご主人ひろき(仮名)さんと探し回ったそうだが、 『こんなにネットなどでも谷汲線が取り上げられているのに』父が働いている姿が写った写真を見つけることができなかった。

もう諦めかけた時、ひろきさんが、大阪の書店で僕の写真集を見つけ、ページを開くとそこに晴さんが写っていた。
由美さんが、著者の名前を検索して、僕のホームページからメッセージを送ってくれたということだった。

そして2021年10月に、息子さんが1歳の誕生日を迎えるので、谷汲線の電車と一緒に家族写真を僕に撮ってもらいたいと思っていただけたそうだ。

カメラマンとして幸せな話だ。
晴さんは、僕の写真展には必ず足を運んでくれていたし、僕が撮影に来ていると聞くと、事務所を出て探しに来てくれることもあった。
僕も、晴さんが運転する電車を見つけると、谷汲駅まで追いかけていき、勤務の予定を聞くこともあった。
毎回、晴さんに会えるのが楽しみで仕方なかったのだ。
そんなにお世話になった晴さんに手を合わせることもできていなかったことも、どこか心に引っかかって過ごしていた。

僕は、写真館とは違って、個人的にこのような撮影をすることはほとんどないので、スケジュールの調整など、色々とわがままを聞いていただいたが、谷汲駅に停まっているあかでんの車内でご家族の写真を無事撮ることができた。
こんな機会だからと、谷汲の知人を頼って、晴さんを知っている方にも駅に遊びに来ていただいた。

そして、つい先日、20年ぶりぐらいに晴さんのご自宅を訪ね、お礼と近況報告をすることができた。

帰り道、ふと、写真を辞めなくてよかったとしみじみ思った。
そう思うと、上手くいっていなかったと思い込んでいた頃のことが、次々と思い浮かんでは消えていき幸せだと思えてきた。

僕はとても上手くいっていたんだ・・・・
それを晴さんが、僕に教えてくれたのかも知れない。

報われるかどうかを考えて目標を見失う

誰しも、失敗した経験があると大なり小なり過去を引きずっているかもしれない。
好きな写真を撮って、好きな仕事をして、夢中になれることがあっても悩みは尽きない。
それは僕が未熟だからだ。

僕は、いつ頃からいつ頃までかは、はっきり覚えていないけれど写真をやめてしまおうと思っていた。
少なくても、写真集を3冊出していただいた後も、写真をやめようそう考えていた。

理由は、思い描いた結果が得られない、要は上手くいっていないと思い込んでいたからだ。

写真集も、写真展も、ラジオやテレビなどで取り上げていただいたりしているが、「もっと上手くやれた」という気持ちが常にあった。

仕事の写真として考えてみると、師匠が現場を去り、仕事先の環境も大きく変化していく時期に、フィルムからデジタルに移行していく時期が重なった。
写真に対する面白味が薄れていった部分もあるし、デジタルはなんか違うと違和感があった。

相変わらず僕が好きで撮影する写真は発表の見通しは全くないし、仕事では面白味が感じられなくなって、そんな状態は収入に直結していった。
色々なことが重なって、あんなに大好きで、希望に満ち満ちていた写真をやめようと意識するようになったのだ。

『仕事としての写真を割り切って続けようか』
『収入は写真以外から得て、好きな写真を純粋に楽しんだ方が幸せかも知れない』
写真を辞めることを考えると、晴さんや、そのほか、旅先や取材先でお世話になった人たちのことを思い出して、ささやかでもいいから写真で成功しなければ顔向けできないと思い悩んだ。
でも、僕も、子どもたちのことを考えると楽しく贅沢な暮らしを満喫したい。
色々と考え、中途半端な時期が数年続いた。

何年もそのような状態でいること自体、自分自身、家にいても、仕事場にいても、気晴らしに撮影に出ていても居心地が悪い。
そして、自分は何やってんだ?と自分を責めての繰り返しになる。
とにかく普通のお仕事をしてみよう。
少なくてもそうすれば、今より随分いい暮らしができるはずだ。
けれど、一度も就職したこともない写真しか知らない僕に、今更就職なんてできるのだろうか・・・

こんな状態が3年、5年だろうか。もっと続いていたのかも知れない。
新しい仕事を探してみようということで、撮影の仕事がない日には、知人から紹介してもらった飲食店のアルバイトを始めることにしたのだった。
今思うと、写真とは全く関係ないけれど、アルバイトを始めたことが効いた。

自分は世の中のために役立つ存在になりたい、喜ばれたいのだ

アルバイト先は、休日になると1〜3時間待ちの行列ができるような繁盛店だった。
『適当にお金を稼ぐため』そんな半端な気持ちでいると、アルバイト代は写真の仕事に比べたら知れているから気持ち的にやられてしまう。

『先ずはバイトリーダーになる!』と冗談交じりに言葉にするようにしていた。

『うわぁ、どんだけ混むの』『もう本当に疲れる』とか、そんな気持ちになったらおしまいだ。
だから、とにかくお店に入ったら混雑に負けないように気合いを入れて声を出すことから始めた。
お客さんに呼ばれたら大きい声で気持ちよく返事をして、メニューを見て悩んでいるお客さんがいたら、お勧めのお料理、お得な注文の仕方、裏メニュー的なものも伝えるようにした。

大混雑のお店に来て、食事をしてくれるのだ。

来て良かったと思ってもらいたいので、開店前に板場さんに今日のお勧めの食材や調理法方を聞いておき、お客さんの細かい希望を聞いてなんとかならないかお願いすることもあった。
お客さんの顔、家族構成、そのお客さんが注文しているものを見て、さらに喜んでもらえそうなものもお勧めしたりもした。

そうすると、終わりがないぐらい混雑している時でもなんだか心地よくなってくるのだ。
支配人さんから、頼られるようになり持ち場を任されるようにもなった。
お客さんから、アルバイトと書かれている僕の名札を見て、
『??・・・とにかく頑張って』
と、声をかけられることもあった。

そんなことが何度もあったので、お店の人に、『僕がアルバイトと知ったら、せっかく日常を忘れるためにご飯を食べに来ているお客さんに余計な心配をさせてしまうので、従業員と同じ名札をつけさせて欲しい』とお願いして聞き入れてもらった。

アンケート用紙に、僕の対応が良いとお客さんが書いてくれることが度々あって、朝礼の時に褒められるようにもなった。
めちゃめちゃに混雑しているのに、お食事を終わったお客さんが、広い店内をわざわざ会計口とは反対側にいる僕の所まできて『ありがとう。またくるわ』と、声をかけて帰っていく人もいた。

このまま、飲食店に就職も悪くないと思うこともあったけれど、お金のためならば写真の方がもっと稼げる
お金はとても大事だけれども、お金のために就職して、いい車に乗って、美味しいレストランに行って、家族旅行を楽しんで、と想像してみたけれど、それで満たされるのか?と思うとそれもなんだか違う。

考えてみたら『世の中のためになる、役立ち喜ばれる人になる』ことが、自分の求めていることなのかも知れないとわかった。
そのための手段は、ビルのメンテナンスでも、掃除でも写真でも何をやってもいい。
でも、どうせならずっと続けてきた写真で『貢献』することを考えた方が上手くやれそうだし近道のような気がしてきた。

気がついたら上手くいっていた

写真の仕事は、特別な工夫はしておらず、営業を頑張ったとか、技術的なことを磨いたなどの記憶はない。
急に写真が上手くなるわけもない。
けれど、不思議と少しずつ仕事が増えていった。

変わったことがあったとしたら、仕事に向かう姿勢だ。
アルバイトをしながら気がついた『喜んでもらう。貢献する』というモチベーションを持ち続けることができた。
お客さんにどう応えるのが一番いいか?を反射的に考えられるようになっていた。

現場に出て、『あれ?お客さんがこういっているけど、違う方法の方がいいんじゃないか?』と感じたら、手間や時間、予算の都合もあるけれど、とりあえず必ず提案するようになった。
飲食店のアルバイトの時と同じだ。
するとお客さんも、不思議と僕のいうことに納得してくださる。

気がついたら、自分の写真の出来栄えよりも、お客さんの満足が僕の写真のゴールになった。
自分が撮りたかった写真と、仕事で頼まれてお金のために撮る写真は分けて考えていたが、その必要がなくなり同じ写真になった。
だからお金のための写真が、生きがいのように楽しく、本当に幸福感をもたらしてくれるようになった。
相変わらず写真は下手くそだけれど、仕事は身動きが取れなくなるほど忙しくなった。

いつの間にか、ずっと続けようと思っていたアルバイトはやめてしまった・・・というのか、行く暇がなくなってしまった。

自分の過去は変えられないけれど認めることで今が変わる

過去の出来事は、どれだけ悔やんでも変えられない。
けれど、心の持ち方、受け止め方は変えられる。

かなりやらかしてきて、取り返しがつかないと思っていたけれど、そんな黒歴史ですら必然と思えるようになってきた。

振り返ると、なんて幸せで恵まれていたのだろう!!
当時、最悪だ〜!と思って、周りにいた方にどれだけ迷惑をかけてしまったか・・・本当に申し訳ないです。
謝っても謝り切れないぐらいですが、
悪いことは、ひとつもなく、すべて必然だったのだ。

それに気づくと、今が変わります。
目の前がキラキラしている人が、うまくいかないはずがないでしょう?

進路を決めきれずアルバイトをしていた時間を『なんてもったいないことをして時間を使っていたのか?もう取り返しがつかない!!』なんて思うこともあったが、今は、その時期のことを思い出しても、『もったいなかったかも知れないけれど、よかったなぁ。またアルバイトしてみようかな』と、肯定的に考えられるようになりました。
そもそも、そんな半端な数年間、多少の不便はあったけれど、お仕事いただきながら普通に生活できていたこと自体、とても恵まれて上手くいっていたのだ。

うまくいっていない、失敗した、そう感じる時は今でもあります。
大失敗している最中に、これでよいとはなかなか思えません。
うまくいったと思うことも、必ず、もっと他にいい方法はなかったか?疑いの目で見ていくことも大事です。

『時間がかかっても、必ず、よかったんだと思える時がくる』
それを知っていれば随分と心の持ち方は変わり、今、ここに集中していけるはずです。
今ここに集中していれば、困難な『今』も、随分と明るく感じられ、自然にいい方向に向くことは間違いありません。

反省は必要ですが、過去に取り返しのつかない失敗はなかった。
仮に失敗だと感じることがあったとしても、それが全てではなく、それ以上に力になってくれている方、優しく見守ってくれている方は必ずいるはずです。
だから思い切って、今ここに集中していきましょう。
masaki
駒田匡紀(こまだ まさき) 1971.6.13 フリーカメラマンです。 撮影や取材など、お問い合わせは、コンタクトフォーム、メールをご利用いただけます。

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