Lexus New Takumi Projectの撮影をした話

岐阜新聞朝刊2019.10.27
岐阜新聞朝刊2019.10.27



レクサスが、日本の若き匠たちを支援する匠プロジェクト。
各都道府県から匠が選出されていますが、岐阜県で選ばれた3人の匠を撮影。
2019,10,27岐阜新聞4面に掲載していただきました。

企画のお話をいただいた時に

『絶対ロケがいい!』

という、僕のわがままを受け入れてくださった、岐阜の3人の匠、澤木さん、塩谷さん、今泉さん、
電通、岐阜新聞の担当者さま、関係者の皆さまにこの場を借りてお礼申し上げます。

ありがとうございました。

僕にとって特別な仕事になりましたので、感謝の気持ちを込めて、どのように撮影が進んだのか記しておこうと思います。

撮影は外に決めた

『おかしい・・・希望通りの場所が見つからない・・・』
長良川沿いを重点的にロケハンしていた2日目も、気がつくともうお昼を過ぎようとしていた。

『金華山を背景に』もしくは『匠の工房』で3人の匠を撮影しなければならないと話を聞いた時に、岐阜の象徴である『金華山』『長良川』のロケーションで3人の匠たちを撮影し、岐阜に暮らしている人たちがちらっと見ただけでこれぞ岐阜というイメージをすぐに提案できるはずだった。

自信を持ってロケを提案し、朝から下見を続けていたけれど、この頃には、余裕も自信もなくなり焦りを感じていた。

エピソード

はっきりとした記憶ではないが2週間ほど前、
「かなり横長のレイアウトになり背景なども含めたライティングが必要になりそうなので相談したい」 撮影を終え、食事をとろうと食堂に向かっていると、このような電話をいただいた。

電話口にいる十文字(仮名)さんは、現在、広告などを扱う営業局に所属しているが、もともと岐阜新聞社の写真部所属であるから、写真に対してもプロである。
十文字さんと出会ったのは、名鉄が抱える岐阜県内のローカル線(八百津、揖斐、谷汲、竹鼻、美濃町、市内線)の赤字問題が深刻化していた時期に遡る。

僕は、揖斐、谷汲線を中心に撮影をしていたから、鉄道を題材のひとつとして取材していた十文字さんとは、沿線で何度も顔を合わせ一緒に撮影することもあった。

十文字さんは、僕がカメラを構えていると「ひとつ現場を終えて少し時間が空いたので」と、取材の合間をぬって顔を出し、何本か行き来する電車をカメラに収めると、「18時ごろまた戻ってきますがどこがいいでしょう?」と、撮影地や僕の予定を確認すると原稿を仕上げるために慌ただしく帰社していくのだった。

沿線で一緒になった日に夕刊を手にすると、午前中に二人で見ていた光景が、大きく紙面に再現されており、揖斐、谷汲線の取材を続けている僕を紙面で取り上げてくれたこともあった。

歳も近く、同じ題材に熱心に取り組む真面目な十文字さんは、写真部のカメラマンとして活躍中で、撮影した写真を記事にして発表を続けている。
一方で、僕は、写真にこんな世界があるとは知らず、成り行きで入った広告写真の世界で、早朝から深夜、食事の時まで『写真の世界で生き抜くとはこういうことだ』と、叩き込まれている最中で、その鬱憤を晴らすかのように、空いた時間を見つけては作品づくりに没頭していた。

この頃、僕にとって写真の仕事とは、照明が決まっていない冷たいホリゾント(※スタジオ用の壁面)に囲まれた、真っ暗でだだっ広いスタジオのようなもので、作品づくりは、暗闇の中、手探りでスイッチを探し5kwのライトを灯すようなものだったのだ。
パチンと音を立てて灯体に電源が入ると、ほんの少し間をあけてふわっと柔らかな光が何も見えなかった空間を隅々まで照らしてくれるのだ。

このようにカメラマンとして立場は全く違っていたが、不思議なほど気が合うので、夜遅くまで取材先の駅で写真を見せ合い、どのように記録に残していくかを語り合ったりもした。

「明後日、車両が冬支度をします。11時頃からです。撮影に入ると伝えてありますが来れますか?」

時には、取材で現場に張り付いていた僕にしか得られなかったであろう情報を、十文字さんに知らせることもあった。
どうしても残しておきたいと思える事柄が、確実に記録され、確実に発表されることを願って信頼できる十文字さんに託すと、その幾つかを十文字さんはしっかりと記事にしてくれた。

最も思い出に残っているのは、廃止を目前にした谷汲線の保線作業の取材だ。
十文字さんは、知人の朝日の記者にも伝え、二人で駆けつけてくれた。
数日後には電車が走らなくなる線路で、『乗り心地を良くし、周りへの騒音と振動を抑えるため』に作業する保線区の仕事を伝える記事は、今でも僕のスクラップブックに綺麗に保存されている。

僕は、岐阜新聞から写真集を出版していただくことが決まっていたが、十文字さんの記事を楽しみにしている反面、ザラッとした紙面の一等地に大きく色付きで刷られた写真を眺めながら、直視できないほど眩い活躍ぶりを羨ましくも感じていた。
もう20年ほど前の話である。

数年後、十文字さんは、所属する部署が変わり現場から遠ざかったが、職場を訪ねると仕事に対する情熱は当時と全く変わらず、カメラを持って駆け回っていた頃の姿が蘇ってくる。

時が経ち持ち場は変わっているが、現在の仕事と同様に、写真に対する気持ち、厳しさも、当時と何ら変わっていない。
そして、忙しく飛び回り、次々と仕事をやり遂げている十文字さんを、どこか羨ましく感じる気持ちがあることに気づくのだ。

そんな十文字さんであるから人物の撮影程度ならわけなくこなせるはずだったが、『東京から聞いた話ではっきりした内容は見えないが、早目に日程を抑えておいたほうが良い』と判断して、僕に電話をかけてくれたのだ。
とてもありがたいことである。

各都道府県で各新聞社が同じ企画で記事を作成するらしいとのことだったので、資料を取り寄せてもらうことにして電話を切った。
その電話から数日後、資料に目を通した。

資料を見て決めたこと

『えらい撮影を請け負ってしまったかもしれない』

これが正直な第一印象であった。
資料に目を通すと、レイアウトの見本に使われている写真は、電話で聞いていた通り相当な横長の比率の写真だった。
そして純白の紙に刷られた横長の写真一枚一枚を眺めていると、人物の配置、表情、仕草、背景のバランスまで、どれもさりげなく撮られているようであるけれど、洗練された雰囲気が伝わり、僕には到底到達できそうもない仕上がりに思えてきた。

人物の配置をどのようにするか、どんなポーズをとってもらえば良いか思いを巡らせてみたが、即座にはっきりとしたビジョンを描くことができず、うまくいかないイメージが、過ぎ去った梅雨空のようにどんよりと思考を覆っていった。

しかし、到底自分には手に負えそうもないほど優れた写真だと感じたのは、先入観と、原稿という『形』になっているものを見せられているからかもしれない。

『お願いされるということは、自分にそれだけの実力が備わっているからだ』と思い直して、このような素敵な企画を任せてもらえるようになったことを素直に喜ぶことにして気持ちを落ち着かせることにした。

このように考えをまとめた

各都道府県、各新聞社さんが同じフォーマットで匠たちを紹介するこの企画。
  • 岐阜はしっかりやったと自信を持って出せるようにしたい
  • 匠たちの人柄を残したい、伝えたい
  • 岐阜らしさをしっかり出したい
そのためには、工房での撮影よりもロケがぴったりだと感じた。
電話で提案し、ロケハンを行うことを決めた。

他社の撮影は、しっかり練られている事は疑いの余地もなかった。
優劣を競う趣旨のものではないが、ロケでの撮影にすれば、他社の写真に混ざっても、なんとか違和感なく提出できるだろう・・・抜きん出ることもできるかもしれない。

一斉に写真が揃った時に、真剣味のない、気合がのっていない準備不足の写真はすぐに見抜かれてしまう。
口には出さなかったが、一番を目指すための選択をした。

『やりました』というためだけの仕事にせずに、岐阜新聞の記事、匠たちが一番になるように取り組んで、自然と一点の濁りもなく自信を持って記事にしてもらいたかったからだ。

僕の話を聞いた十文字さんは、ロケにするなら岐阜らしく、一目で岐阜とわかるように金華山を入れる場所を探して欲しいと賛成してくれた。
電話で話しながら、そのために必要な場所もすぐにイメージできた。
だから、岐阜市内の長良川沿いに、車を走らせては停めてロケハンを始めたのだ。

結局、西側から金華山の撮影を諦めた

長良川から見た忠節橋。アングルの調整は必要だけれど条件は満たしているように思えた。



撮影地は、長良川に架かる忠節橋のすぐ西側で決まるはずだった。
忠節橋は、路面電車の廃止があったが、最大の特徴であるアーチ橋の形状は昭和23年頃からほとんど変わっていない。

冬には、褌姿の男たちが長良川に入っていくお祭りもここで執り行われている。
真っ先にここに向かったのは、15年ほど前にそのお祭りを報じる記事で、裸の男たちの背景に忠節橋、その後ろに金華山がしっかり写っていたのを見ていたからだった。
カメラを構えてみると、午後から順光すぎるのが気になるが、条件としてはぴったりの場所であったのでほっとした気持ちになれた。

一箇所あては見つけたが、この日は暗くなるまで、市内の街並みや金華山に登ったりして下見を繰り返した。

他にはぴんとくる場所は見当たらなかった。

じゅうぶんな手応えを感じていたが、ひとつ心配事が出てきた。

当日好天に恵まれても、ひょっとしたら長良川の水位が増し、その場所に人が立つことができないかもしれない。

もし、当日、この場所に行き、川の水位が上がっていたら、代わりの場所に切り替えるのは困難である。
山間部で降った雨は、数日後、市内に影響を与えるからだ。
長良川にある小紅の渡しの船頭さんが、こんなことを言っていたことも思い出した。

「市内が晴れて天気が良くても、山の方で降った雨がこちらに流れてくる。そうなると船は出せないこともある。だから市内の天気ではなく山間部の天気、雨量の方が気になる。山間部で雨が降っていると船が流されないか夜に見にくることもある」

その辺りがどうも気になり、再度ロケハンに行くことを決めた。

2回目のロケハンもまずまずの好天に恵まれ、長良川を見ていてもいつものようにゆったりと流れているようにみえた。

念のために目星をつけていた忠節橋の西側に行くと、数日前に降った雨の影響で長良川は増水し、予定していた場所は水没していたのだった。
ここは諦めて、6kmほど西の河渡橋まで川沿いの道を下っていった。


緩やかに蛇行しながら流れている長良川の右岸、左岸とも護岸工事が行われている。
工事がない場所であっても、堤防は無機質なセメントで固められており、撮れそうな場所は見つからなかった。

ロケハン二日目の午前中、忠節橋の西側を、河渡橋から、右岸、左岸、小紅の渡し付近も含め、くまなく探した結果、忠節橋の西側は諦めるしかないことがわかった。

忠節橋の西側に拘ったのは、なだらかに蛇行しながら流れる長良川と、金華山、そして、その金華山の麓に特徴的な忠節橋が見え、岐阜の風景を象徴するような役者が揃っているからであった。

対して、東側、上流に向かっていくと、遠くに伊吹山を望むことができるが、忠節橋が見えなくなってしまうぶん、少し弱くなるように感じた。

時計を確認すると、針は正午を回っていた。
落ち着いた佇まいの喫茶店の存在が頭をよぎり、小柄で控えめなマスターの顔が思い浮かんだ。

その夫婦で営む喫茶店は、まず、自由書房本店があった場所から裏通りに入り、和菓子屋や洋品店などがぽつぽつと並ぶ通りを進んでいく。
この時期、通りに面した和菓子屋では、鮎漁の時期に合わせて『鮎菓子』の幟が掲げられているはずだ。
店先を眺めながら、二本目の小さな交差点を左に曲がっていくと目的の喫茶店に着くことができる。
もともと貸本屋だった建物は、一見すると民家に見えるが、ガラガラと引き戸を開け、焦げ茶色をした板張りの床に足を踏み入れると、右手側の本棚にはぎっしりと古い本が並んでいる。
奥に伸びるこじんまりとしたカウンターから、襟付きの白いシャツを着た小柄で控えめな店主が、『こんにちは。今日は何か取材でも?』と声をかけてくれるのだ。

『あのご夫婦は元気だろうか』

商店街周辺は、駐車場の問題がつきまとうが、この辺りの昔ながらの駐車場は、年配の親父さんたちが入り口付近から丁寧な誘導をしてくれる独特の形態になっていて、そこに車を預けると『岐阜の街に出てきた』という実感が湧いてくる。
効率的なタワー型の駐車場、コインパーキングなどが増え、数を減らしてしまったかもしれないが、人間味溢れる独特の駐車場を利用するというのもまた一興なのだ。
5分もあれば店に到着することができたが、その5分が惜しく長良橋のすぐ近くのファミレスに入った。

店内はとても混雑していた。

メニューを眺め、ランチを頼み、ドリンクバーをつけた。

雑音が溢れる店内で、冷たい飲み物で喉を潤しながら撮った写真をノートパソコンで整理してみたが、どの写真も1枚で決め切れるだけの強さ、この企画に耐えられるだけの画ではなく、全くもってよいイメージができなかった。

この横長の比率に金華山という背景が成立するのか少し引っかかったが、午後からは金華橋周辺の河原、長良橋付近の鵜飼の船着場などを見ながら上流の千鳥橋まで約7キロほどロケハンを続けると決めた。

千鳥橋は、『どうしても忠節橋の西側が無理ならば』と、金華山が収まりそうな場所として、十文字さんが候補に挙げてくれた場所だった。

条件にぴったりな場所

手前に船を入れたカット。人物の配置が自然でなくなる。テストで色々と撮って見たが、これだけ横長の写真の中に高低差という要素が入ってくると収まりが悪くなる。3人の身長差もギリギリ許容できるかどうかだ。




ファミレスを出て、すぐコンビニでペットボトルを買い求めた。
移動中、エアコンをじゅうぶん効かせている車内にいても汗ばむほど気温が上がっている。
その夏の暑さに、焦る気持ちも加わり余計に喉が渇いた。

金華橋は、忠節橋と長良橋の中間に架かる橋で、この橋の少し上流で長良川花火大会の花火が打ち上げられる。

この辺りの河原に降りると、長良川、忠節橋、その後ろに伊吹山を望むことができる。

河原から忠節橋にカメラを向けると、横長の比率でも無理なく伊吹山が収まるのであった。


忠節橋と伊吹山。ここだと背景に無理なく伊吹山が入る。



金華橋を北に向かって渡り、左手に長良川競技場を見ながら長良橋を目指す。

右手側の長良川公園は、マラソンの金メダリスト、高橋尚子が高校時代に練習コースとして走っていた場所を高橋尚子ロードとして岐阜市が整備している。
長良川観光ホテル、鵜飼ミュージアム周辺を目指しながら、いくつか気になるところをチェックして車を走らせた。
長良橋付近にくると、長良川の洪水から街を守るために設けられた防水壁、陸閘が見えてくる。

普段、鉄の門は、車や人が往来できるように解放されているが、一定の水位に達すると、門を閉じて水害から街を守る仕組の構造物で、町には大小様々な陸閘が設けられているが、1976年に初めて全閉されたとある。
観光ホテルに向かう途中に大きな防水壁を見ながら陸閘を通り抜けた時、趣のある町の風景が広がっていた。

こういった角度からでも岐阜を表現できそうだと感じたが、『金華山を入れる』という目的があったので、カメラを構えることなく車を降りて長良川沿いの道を歩いた。


長良川左岸にある乗船場。こちらも撮ろうと考えると悩ましく思えた。



車を降りてたどり着いた長良川の右岸は、遊歩道として綺麗に整備され、対岸には、長良橋のたもとに鵜飼の観覧船が何隻もかたまって佇んでいる。

こちら側の堤防は、スタジアムの観客席のような階段状になっており、下っていくと数隻係留されている木造の鵜舟が川の流れに合わせて小刻みに揺れていた。
鵜舟を手前に入れ込むアングルをいくつか試してみたが、人物の配置に無理が出てくる。

そもそも金華山は正面、遥か上方にあり、横長の比率にはとても収まらない。
鵜飼ミュージアムから観光ホテル周辺を、先ほど買い求めたペットボトルを片手にくまなく歩いたが、希望に添えるアングルはどうやっても得られそうもない。

けれども、防水壁にぽかんと開いた陸閘の向こう側に見える街並みには、いかにも岐阜らしい空気感が漂っているのであった。
この辺りからでも金華山を入れようとすれば、極端にカメラの位置を下げ、下から見上げれば無理やり入れ込むことができる。
試しに撮ってみると、思った通り、金華山は入る。
『それはそうだ。入れようと思えば確かに入る』
ここで、やっとひとつ納得することができた。

そもそも金華山を入れ込むというのは、無理があるような気がしてならなくなった。
今回の企画でいう地域性、風土とは、果たして金華山というランドマークを入れることなのか疑問が湧いてきた。

観光地を紹介するわけでなく、あくまで主役は3人の匠である。

資料をよくよく見直してみると、一目でどこで撮ったのかわかる写真は皆無であった。
念のため資料を読み返したが、『どこで撮ったかわかるように撮影すること』とはどこにも書かれていなかった。

金華山を入れようと今までロケハンしてきた場所は、希望通り撮れても安っぽい観光ガイドに使用する程度の仕上がりしか期待できない。

ど定番の王道中の王道(この場合は、金華山と人)も、大事ではあるけれど、それは今回に関しては全然面白くないと感じるようになった。

どうしてこのように思ったのか、納得してもらえるかもしれないので理由を書かせてもらいたい。
被写体を目立たせようと大きく撮っても、一目で見て認識できるものに対して、人は一瞬にして興味を失ってしまう。
逆に小さく写しておけば、何が写っているのか理解するために、同じものが写っていても時間をかけてその写真を見るだろう。
場合によっては、虫眼鏡を持ってきてじっくり見るかもしれない。
繰り返しのパターン的なものは、ある部分でパターンを全て入れ込まずにあえて画面からカットして、見る側に続いていくパターンを想像させる手法がある。

他にも、「あーなんでここで切っちゃったかなぁ」という写真は、失敗写真かもしれないが、そう言わせることができれば、見る側に切れてしまった部分を想像させることに成功しているといえる。

なんでも、しっかりはっきり写っていればいいというものではないのである。

これらの例と同様に、一見してすぐ金華山(岐阜)が写っているとわかると、その瞬間、見る側は、何が写っているのか理解した気持ちになって興味がとまってしまう。
岐阜で撮られているはずだけれど、どこだろう?というぐらいの方が、見る側に興味を持ってもらえる可能性が高まるというものだ。

それに、主役はひとつ。
あちこちに主役がいると、本当に見せたい主役が目立たなくなってしまう。

夕暮れまで3時間ほど残っているが、二日間ロケハンに費やして出た答えが、金華山を入れようとすると、無理矢理撮った感が満載でろくな写真にならないということだった。

岐阜(岐阜の人)に持っている僕のイメージは、ふわりとした微風のような心地よい優しさだ。
伝統を大切にしながら新ししいものを作り出していく匠たちの人柄、空気感を写し出した結果、自動的に岐阜そのものを写した一枚にならなければならない。

この企画の意図する『地域性』は、その地域を見せることではなく、感じさせること、空気感が必要なのだろうと思う。

自分が導き出した答えが、よりよい結果を得るために本当に必要なことなのか?事前に試しておく必要もあった。
いくら時間をかけて探したといっても、お客さんが望むものを出さずに、全く違うものをこちらの方がいいからと押し付けるわけにもいかない。
これ以上、金華山を写せる場所を探す時間が惜しかったが、金華山がしっかり収まる場所と併せて、金華山なしの場所を提案し納得して選んでもらうことにした。


岐阜バスのバス停。ゆったりとした岐阜のイメージ・・・岐阜バスをPRするロケがあるならここでと思う。全身を入れようとするとこの距離感になる。ちょうど人がいたので、よい写真が撮れた。ありがとうございます!



観光ホテル周辺で、陸閘の間から見える街並みなどいくつか写真に撮って、千鳥橋を目指し、長良川上流に向かって車を走らせた。

途中、長良川をバックにバス停のある風景などを撮影した。

納得してもらえるという絶対的な手応えはなかったが、ようやく、もやもやとしたものがなくなり撮影によいイメージが描けてきた。
県道94号線を走り、真新しい鵜飼大橋を越え、左手にぶどう園を眺めながらさらに進んでいくと、御料鵜飼(皇室に納める鮎を捕る鵜飼)が行われている古津地区に入る。

千鳥橋は、御料鵜飼が行われる場所のすぐ上流に架かっている。

歩道は下流側にしかないが、所々ポーチが設けられており、『引き』が取れるので撮影にはありがたい。
ここなら、横長の比率でも、長良川と金華山を収めることができる。

やっと最低限の責任を果たせたことに安堵した。


千鳥橋から金華山を望む。記念写真にはよい場所になりそうだ。



しかしこの場所では、『撮りました』といったような記念写真の領域を出れず、面白い写真になる感触は得られなかった。


長良川の右岸を見るカット。この風景も岐阜ならでは。鵜匠たちが準備を始める夕暮れ時を待って撮影という案もあったが、残念ながら撮影する機会はなかった。



市内に残る古い町並み。左右に”抑え”が入るので、自然に人物に目がいく。無理なく撮れそうな場所だ。



ここでは工夫らしい工夫もできないので、先ほど走ってきた長良川の対岸の道を市内の中心部に向けて車を走らせ、暗くなるまでいくつか気になる場所を撮影して、本社で仕事をしながロケハンの成果を待っているであろう十文字さんとの打ち合わせに臨んだ。

最後の打ち合わせ

「お疲れさまです」
僕には、やりきった自信と、よりよい提案をする自信が戻っていた。

「どうでした?やはり千鳥橋ですか?」
「はい、千鳥橋で撮れそうですが・・・」

ロケハンの様子と導き出した答えを漏らさず報告した。

僕の報告を聞いた十文字さんは、最初そんなはずはないといった反応だったが、撮った写真を予定されている比率にトリミングしながら説明すると、状況は飲み込めたようだった。

「僕も、ロケハン前は、すぐによい場所がたくさん見つかると思っていたので意外に手こずりました」
と、付け加えた。

地元の新聞社として、岐阜市内で岐阜らしい写真をという撮影なのに、金華山を入れないという選択肢は難しいのかもしれなかった。

個人としても地元を大切に思う気持ちが、そのようにさせている部分があっても不思議ではない。
この場合「なんとか金華山を入れて撮れないか?」と、僕の意見を受け入れない方が、地元の新聞社に籍を置く者の反応としては正しいようにさえ思えた。
十文字さんは、県内のあちこちで取材を重ねてきた経験もあるのでなおさらだ。

ノートパソコンに映し出されたデータを何度か見ながら、『金華山を入れるのは無理がある』という僕の意見を受け入れて、十文字さんなりの落としどころを見つけこういった。

『千鳥橋ともうひとつ、金華山を入れない場所の撮影をしておきましょう』

本社で3人の匠との対談が終わった後、千鳥橋に向かい、また本社に戻って解散なので、帰る途中に撮影するという形で、スケジュールの調整しておくと淡々と話した。
十文字さんは、カメラを持って現場を回っていた頃と変わらない熱量で、これ以上ないという選択をして今回の撮影を後押ししてくれたのだ。

匠たちを撮影

撮影当日。
想いが通じたのか、天候の心配は全くなかった。
じりじりと肌を刺すような日差しを浴びながら、お昼過ぎに市役所近くの岐阜新聞本社に到着した。

午後からロケに出る前に、会議室で3人の対談の様子を撮影するためだった。
3人の匠が到着する前に、東京から担当者の皆さんが到着した。

さっと挨拶を済ませ、ロケハンの写真をいくつか見せると、撮影する場所はすぐに決定された。
そのタイミングで、澤木さん、塩谷さん、今泉さん3人の匠が揃った。
「対談が終わった後に、こんな感じの撮影をします」
挨拶を交わしながら、パソコンの画面を見せてお願いしておいた。

対談は、十文字さんが司会進行を務めた。
以前からコミュニケーションが取れているようで、終始、和やかなムードで対談が進んだ。

会話を聞きながら、対談の様子をファインダー越しに見ていると、僕が岐阜に対して持っている、柔らかな空気感が無機質な会議室にも漂っているように感じられた。
カメラを向けると、対談中の匠が、配られた飲み物をアングルから外してくれることさえあった。

「ここに置けばいいですか?」

「凄いです!よくわかっていらっしゃる。もし良かったら、一緒に働いてみませんか?」

「僕も写真をやるので、カメラマンさんと同じ一眼レフを使っています」
こういった対談中にカメラマンである僕が会話を交わすことはあり得ないが、時折、会話に参加し、一緒に笑うこともあった。

途中、休憩が入り、匠たちの作ったものに触れる時間もあった。
製品の性質上、この場で唯一実際に試すことができたのは、『木工職人』塩谷さんの木でできたヘッドフォンだった。

木のヘッドフォンから聞こえてくる音色は、耳元で驚くほどふわりと心地よく広がり仕事を忘れて感動してしまうほどだった。
とてもリラックスした雰囲気の中、匠たちの思いを聞き、それに触れる時間ができたことはとてもプラスに働いた。

「カメラマンさんも匠ですね」
対談中、このように声をかけていただくこともあった。
3人との距離も、じゅうぶん縮めることができた。

このような時間を持てたことは、3人の匠たちの人柄、現場に居合わせた担当者の皆さん、そして地域に根付いている岐阜新聞の存在も大きく関わっているのだろうと思った。

対談が終わった。
「どちらの場所から撮りますか?」
僕は一瞬だけ悩んだが、金華山が見える千鳥橋から撮影することに決めた。
光線を考えると両方ベストな時間帯に撮るのは難しい。
だから、最初に欲しいと要望があった金華山のカットを最優先にという気持ちでそう決めたのだった。

僕は、ロケハンを終えてから、3人をどのように配置して、どのようなポーズで撮るのかまでは決めていなかった。
車での千鳥橋へ向かう途中も、それについては一切イメージを作ろうとはしなかった。 長良川の右岸の道を車は進み、順調に撮影場所に着いた。

ここでは、すぐに終わるはずだった。
決めておいた橋の中ほどまで行くと、想像以上に陽射しがきつく、その強烈な光が正面の空と川面に映った太陽がレンズを突きさした。

眩しすぎて、ファインダーも覗けない。
ロケハンをした時、ここにきた頃は薄曇りになっていたから計算外だった。
ここは、要望があった場所だったが、予備的な場所である。
ここで太陽が少し傾くのを待てば、よい光線状態になるが、それでは次の撮影地が犠牲になってしまう。

両方の場所で撮った写真を見せられる形で撮れるとよいが、それは叶わないことを悟った。
「ここでは無理ですね」
そう言われたが、

「確かに厳しいですね。でも、もう少し、可能な限り粘らせてください」


撮っても撮っても手応えが得られないので、予備だとわかっていても『撮ったけどよくなかったです』『撮れなかったです』とは絶対に言えないと思うと冷や汗が出て、『なんとか見れる写真を』と、撮れば撮るほど持っていた自信が揺らいで疲労感が増した。 何回か立ち位置を変えて、シャッターを切った。

なんとか見れるようにとできるだけの事はしたが無駄であった。

ここで決めきるなら、もう少し日を待たなければならない。
「もう少し待てば良くなりますが、ここで決めますか?でも諦めて次の場所に移動した方が良いと思います」
そう切り出すと、次の場所に移動することに異論はなかった。

車に乗って、ロケハンをした時と同じように、先ほど走ってきた長良川の対岸を川沿いに市内の中心部に向けて走っていった。
最初の場所で撮れた感触は全くなかった。

こんな時は生きた心地がしないものだが、全て順調にことが進んでいるようで落ち着いていられた。
次で決めなければという気負いも全くなかった。

目的の場所に到着する頃には、夕暮れの理想的な光線状態になりつつあった。
『先に千鳥橋に向かったことが正解だった』
最初から千鳥橋に行くことを拒むこともできたし、すぐに諦めることもできた。
千鳥橋に行かなかったら、粘らなかったら、この理想的な光線状態を今向かっているメインの場所で迎える事はできなかっただろう。

最大限、納得してもらえるようにと考えて動いたことが、全部プラスに働いていることを感じ気持ちが高揚した。

夕暮れの光線状態は、駆け足のように変化していく。

十文字さんの運転する車が目的地に近づいてきた頃
『今撮りたい!撮りたい!』と、
最高の状態を迎えていることを承知してもらうために僕はあえて声に出した。
十文字さんは、街並みの外れの駐車場に車を停めた。
「先に行ってますのでゆっくりきてください」
機材を担いで、決めておいた場所に向かって全力で走った。

息を切らせながら撮影の準備を整えると、ついさっき機材を担いで走ってきた道をゆっくり匠たちが歩いてくるのが見えた。

街並みの中をふわりとした風が通り抜けた。

『よし、決まった。一番良い写真になる』

あとがき

できあがった写真を眺めると、少々反省点もあるけれど、お陰様で納得のいく撮影ができました。
僕は、3冊写真集を出していますが、全て岐阜県内の題材です。

大好きな場所のひとつであり、特別な思い入れがありました。

今回、少しでも岐阜のためになることができればと撮影させていただきましたが、結局、また、岐阜の皆さんの優しさに甘えさせていただきました。
岐阜の3人の匠、澤木さん、塩谷さん、今泉さんや、岐阜新聞さん、岐阜のPRに役立つことがあったならとても嬉しく思います。

本当にありがとうございました。

地域や伝統を大切にしながらものづくりを続けている岐阜の3人の匠たちは、僕が大好きな岐阜に対して持っているイメージそのものだった。本番は少しずつアングルを変えながら何枚か撮った。そのうちの一枚。



追記

撮影から一年が経とうとしています。
岐阜を通り、金華山を眺めるたびに、岐阜に着いたことを実感しほっとしている自分に気づきます。
『あの時、金華山をないがしろにしてしまった』
そんな罪悪感が残っているからなのか、ほんのわずかな時間、その場に立ち止り、山頂の岐阜城を眺める機会が増えました。
岐阜のどこから眺めても、金華山が今日も変わらず存在していることに頼もしさを感じるのです。

『どうして金華山を入れて撮らなかったのか?』
『比率的に厳しかったからだ』
『それでも、もっと探せば無理なく写せる場所を探せたのではないか?』
『探してそのような場所を見つけたとしても、主役が二つも入り込んでしまう』

もう終わったことですが、心の中でこんなやり取りを繰り返しています。
いくら考えていても答えは出そうもないので、次の機会にしっかり答えを見つけて形にしてみます。
masaki
駒田匡紀(こまだ まさき) 1971.6.13 フリーカメラマンです  撮影や取材など、お問い合わせは、コンタクトフォーム、メールをご利用いただけます。 スタジオについてはPhotoStudioをご覧下さい

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