国府宮裸祭り。下之一色町、なおい笹の奉納
国府宮神社で2月に行われる『裸祭り』。
この日、各地区から儺追笹が奉納されるが、先陣を切って国府宮神社に飛び込んでくるのはどの地区の笹かご存知だろうか。
それは、かつて漁業で栄えた、名古屋市中川区下之一色町からやってくる笹だ。
この笹を担ぐのは、下之一色町、南陽町の男達。
この日、笹の奉納にカメラを持って同行することになった。
浅間社
儺追笹
17日未明。
魚市場から、漁師町の面影を色濃く残す、暗く細い堤防沿いの道を歩き下っていくと、少し道幅がひらけてきたあたりに浅間社がある。
電柱を超えるほど巨大な二本の儺追笹が横たわる境内に足を踏み入れると、頭に赤と白の縄状の紐を頭に巻いた男が、自信に満ち溢れた目をして今日の祭りについて説明してくれた。
彼は、前厄の参加者『七年会』の会長。
本厄『六年会』、後厄『五年会』とともに、今回、儺追笹を奉納する。
周りでは、本厄、前厄、後厄、法被をまとった世話役「御礼参」の男達、お揃いのコートを着た女達が境内をせわしなく動いている。
普段なら、まだ町は寝静まった頃だというのに、ひときわ大きな声で本厄『六年会』の会長が指示を出していた。
見習い、前厄の指導をしながら準備をする者、全体の動きを見渡し指示を出す者、少し距離を置いて手助けをする者、食事や荷物の準備をする者。
この神社に集まっている人たちが、規律に従って、それぞれの役割を自覚し、それを全うしているようだった。
この寒さの中、大勢の観衆の前で裸になり、巨大な笹を奉納するというのは、腕っ節の強さと度胸が求められ試されることは想像に難しくない。
それに加え、礼儀、優しさ、協調性、向上心までも試されるのではないだろうか。
準備を終えた参加者が神社前の広場に集まる
朝、7時過ぎ。
予定より少し遅れて出発準備が整った。
神社の前に男達が集まった。
「わっせい」「わっせい」
鳥居の下で、それぞれの年代の代表が意気込みを述べ、掛け声を発して記念撮影を終えた。
酒樽、マグロ、ブリの神輿、そして二本の笹が、法被姿の男に誘導されながら、細い路地を抜け町のメインストリートを進んでいった。
「わっせい」「わっせい」下之一色の商店街に掛け声が響く。聞きつけた人達が見送りにくる
儺追笹 たくさんの「なおい紐」が結びつけられている
拡幅された国道1号線を渡りきると、観光バス3台、奉納する笹などを運ぶクレーン付きのトラック、マイクロバスが待っていた。
本厄、前厄、後厄、それぞれ分かれてバスに乗り込み、戸田川緑地へ向かう。
ここで男達は、世話役の男達に酒をかけられながら晒しをぐいっと締め付けて身支度を整え再びバスに乗り込む。
バスを降りるのは、平和堂稲沢店近く。
笹を担ぎ、車道を少し行くと北出公園付近で笹を直立させる。
笹元の男達数人がひざまずき、スクラムを組むように笹の接地面を体で抑え、周りにいる男達は、3本の紐を操りながら笹を持ち上げ直立させる。
そして、その場で回す。
この奉納の一番の見せ場である。
拝殿にたどり着くまでに、少なくとも8回は、この巨大な笹を直立させている。
笹の根元に身体ごと突っ込む男達。ここがぶれると笹を立てることはできない。目立たないが重要な役割を果たす。今年、六・七年会の笹元は3人だった
歩道から見守る女達は、決して男達に触れてはならず、男達に絶えず酒を浴びせて歩く
松下一丁目北の交差点を目指し、踏切の手前で右折。
名鉄国府宮駅前を通り抜け、国府宮駅前交差点を左折し名鉄の踏切を越えて行く。
この先、どこかでもう一度左折したはずだが、それがどこだったか覚えていない。
国府宮神社の鳥居をくぐると、左右に大勢の見物人が押しかけていた。
ここで鏡割りを行い、酒を見物人に振る舞う。
集まった見物人達が声を出しながら手を伸ばし、酒や、なおい紐を求めている。
なおい紐・なおいぎれは厄除けのお守りとして求める人が多い 鍵や車、鞄に結ぶなどして一年間身につけて返納する
笹を奉納する拝殿はすぐそこまで迫っているが、鳥居をくぐってからの時間が長く感じられた。
これまでの道のりと同じように、本厄、前厄の笹、その後ろに後厄の笹が続いているが、なかなか前に進むことができない。
大きく左右に蛇行しながら時がくるのを待ち、全身に酒を浴びたふんどし姿の男達は鳥居をくぐってから三度笹を立てた。
「俺らの笹が一番乗りになるのがミソなんです」
疲労が頂点に達している様子が見て取れるが、目を輝かせて奉納の時がくるのを待った。
本厄の男達が桜門をくぐり、続いて前厄の男達が入り、大勢の観衆が見守る中、拝殿の前を三周回り笹の奉納を済ませた。
「なんとかこの祭りを続けられるように、来年は本厄なので参加してくれる人を増やせるように頑張ろう」
前厄『七年会』宴会で、会長、副会長が呼びかけた。
「今回は人数が少なかったけれども、あと数人いればもっと楽になる」
過疎地域でもない、都市部の市街地でも後継者不足は深刻な様子だった。
「いい祭りを残し、60歳になったら皆んなでお伊勢さんにお参りに行く」
誇り高き先輩にならい、続いていくのが彼らの目標だ。
出発前とは違い、参加した男達の表情から、寒さや疲労(失敗)に対する恐怖感は消え、ひとつ大きなことをやり遂げた達成感と自信が漲っているようにみえた。
裸祭りにふんどし姿で参加できるのは、残すところ本厄、後厄の2年。
町はかつての活気は失っているものの、祭りを通じて生まれる絆を実感し、本厄を迎える彼らが祭りの主役になり次世代に伝えていく責任を背負う。
今まで以上に、地区を担う人材となって活躍していくことは疑う余地もないだろう。
毎年、2月になると話題になるけれども、このお祭りに名古屋市内から参加している地区があることを今回初めて知りました。
たった1日同行しただけでしたが、彼ら(彼女ら)が、お祭りそのものも、それと同等かそれ以上に、関わる人達、地域、精神的なものを大切にしているように感じられました。
個人主義が浸透し、近所づきあいそのものが薄れている今となっては、お祭りに参加すること自体に疑問を感じる人も少なくないかもしれません。
でも、目の前の困難を憂いて逃げ出してしまっては、様々な不安を避けることができる代わりに、何も得ることができないと彼らの姿が語りかけているように感じられました。
彼らは、来年の裸祭りにも町の期待を背負って、今年以上に堂々とした姿を披露してくれるはずです。
いつまでも、この地区からの奉納が続くことを願います。
たいへん良く描写されていますね。
ただ今、アップを予定しています。
ほっとコーヒーは、国府宮からの取材でした。(*Θ_Θ*)/ニコッ
ホットコーヒーさま
初めまして。
お知らせありがとうございました。
当日、現地にいらっしゃったのですね。
お祭りに関わる人たちと過ごしていたら、
不思議と力が出てきました。
このお祭り、素晴らしいですね。