2019.4.6。
福原分校は、3.31で廃校になってしまいましたが、校舎を開放して分校写真展を開催しました。
学校を核として地域で交流を深め、活力に繋げていこうという試みで始まった分校写真展。
今回で3回目です。
分校は閉じてしまったので、1週前の日曜日にお花見会を兼ねて準備を済ませてこの日を迎えました。
結果は、笑顔が絶えない二日間。
やっぱり分校は、地域の宝だったのだと感じる展示会になりました。
写真展までの流れ
H17.6。
分校で開催される『ふれあいスポーツ大会』に合わせて、土、日、二日間校舎を開放して始まった分校写真展。
H16年からこの分校の撮影を開始していた僕は、『撮影させていただいている地域に対して、写真家として何かしたい』という気持ちで、先生方と話し合い、校舎に写真を展示する『分校写真展』が実現しました。
地域の人たちが分校を自然な形で活用できるようになれば、それが、学校の理念と一致して、地域の活力(楽しみ)に繋がっていくはずだと考えていたからです。
何故ならば、分校はこの地区で暮らす人たちが、一つになる場に最も相応しい(その可能性を一番持っている)はずでしたし、皆んなの財産であり、学校は地域のために存在しているのですから。
2〜3年に一度写真展を続けながら、いつか地域から、分校でこんなことをしたいと要望が出てくるようにすることが目標でした。
『地域の人たちが楽しめるように分校を活用していきたい』
休校が決まった昨年、お花見会を企画してくれた卒業生たちの気持ちに、元分校の教務主任だった先生が協力を申し出てくださったことで、11年ぶりの写真展開催に繋がりました。
写真展開催にあたって気をつけたこと
写真は、プリンターやコピーでの参加を呼びかけました。
『負担なく、皆んなが楽しめるように』が、分校で催しをする時の合言葉。
皆さんが持っているたくさんの写真を一箇所に集めることで、日常の写真たちが、当時の分校の様子を伝える貴重な資料になります。
催しを写真展にしたのは、分校の資料を集める時の為の参考になるようにとの狙いもありました。
いきなり資料を集めたいと考えても、探していただくことはとても難しく、写真展を見ていただくことで『こういう写真、確かあったな』と、関心を持っていただくことにつながるからです。
分校に残されていた掲示物、備品は、ほとんどありませんでした。
画板、彫刻板、福原の地形図、子供の机、椅子などなど、処分前に確保していただくことができました。
決して立派なものではありませんが、工夫ひとつで、分校らしい、ここにしかない展示が完成したようにみえました。
コピー、プリンターといった複製の効くもの以外に、写真そのものを持ち込んでくださった方もいました。
こういったものは、なるべく目に届く場所、傷つけないように固定するなどして展示しました。
『今後も残された施設を地域のために活用したい』というのが子供たちの気持ちなので、次に繋げられるように動きました。
ご来場いただいた方には、趣旨を理解していただき、今後、一緒に楽しんでいただけるように、流れを説明して名簿に記入をお願いさせていただきました。
分校卒業生の方には、在学中の年代、メールアドレスなど気軽に連絡が取れるものも書いていただくようにもお願いしました。
ほとんどの方が初対面。
『失礼ですが』と積極的に声を掛けさせていただき、若い卒業生が中心になっていることを説明すると、『私たちの世代の人がいないから』とお返事をいただくことが何度かありました。
世代や立場を超え、分校を通じた交流を目的としていることを伝えると、ほとんどの方が快く記入に応じてくださいました。
ご来場いただいた皆様、ご協力ありがとうございました。
子供たちが、町内の回覧版を利用して告知をしていましたが、福原を離れている卒業生、関係者の皆さんにも情報が届くようにと、マスコミ各社への取材依頼は僕が済ませました。
結果は、中日新聞に二度掲載。
新聞を見たという方も、たくさん分校に来ていただくことができました。
写真展初日。
10時開始の予定で、9:30に分校に到着したら、すでに車が数台待っていました。
「あれ〜?こんなにたくさんお手伝いに来てくれたのかなぁ?」と車を降りたら、停まっていた車は、全てお客さんが乗って来たものでした。
朝、残った写真をのんびり展示して・・・なんて考えていましたから、先生はお茶の準備や受付の準備に大忙し。
お客さんが途切れることなく、会場の完成はお昼近くになりました。
ひと家族5枚程度、写真を出していただければと考えていましたが、飾りきれないほど素敵な写真が集まりました。
最終的に、写真の点数は250枚ほどになっていました。
ご来場いただいた方々は、100名程度になりました!!
展示会の様子
前置きが長くなってしまいましたが、当日、撮影をさせていただきましたので、写真展の様子、一気に紹介していきます。
※分校の記録のひとつ、記念として、ご来場いただいた方の写真もこちらに掲載させていただきます。問題がありましたら取り消しますのでご一報いただきますようよろしくお願いいたします。
今年のお花見会に参加していただいた、写真同好会の方の写真も展示することができました。
幅広く卒業生たちの思いを知っていただきたかったので、分校の外からの参加があるか?も、重要なポイントでした。
今回、お花見会の写真でブログを作ってくれた方も、写真同好会の方でした。
Blogのリンクを貼り付けておきます。
僕の写真が霞んでしまうほどの出来栄え。
愛西市立立田南部小学校福原分校お花見会
趣旨を理解して、参加していただいたこと、この場を借りてお礼申しあげます。
ありがとうございました。
写真展の会場で、こんな写真が撮れたらいいなぁと思っていたのが、当時、読売新聞の記者だった中村さんと、分校の高学年を受け持っていた水谷先生のツーショット。
『できたらいいな』が形になるのが分校の良さ。
当時の記事の写真と同じように撮りたいのですけどお願いできますか?
分校のアルバムに収まっている記事を見せながらお願いしたら「よく覚えていますね!」と、お二人からお褒めの言葉をいただきました(笑
水谷先生は、現在、風景写真に取り組んで、雑誌に掲載されるなど活躍しています。
14年前に開催した最初の写真展同様、今回も協力をお願いしたら快諾してくださいました。
初日、どうしても撮っておきたかったのは、夕暮れ時の舞台の展示。
ここには、A0の桜吹雪の写真を中心に、A2の写真4枚、A3の写真2枚と、離れていても内容がわかる大きな写真を展示しました。
ちなみに、舞台のA0、A2のプリントは僕が持ち込んだもの。
デジカメへの切り替えが遅れていた僕をみかねて「これ使え」と、先輩が譲ってくれたEOS20Dで撮影したものです。
画素数は1000万に達していないカメラでしたが、A0まで伸ばしても全く問題ありません。
「え〜!?そんな古いカメラ、名前しか聞いたことありませんっ」
仕事帰りに寄ってくれた、後輩カメラマンも感心していました。
ちなみに、ネット印刷に発注をかけました。
発注先はこちら。
コスパが高いので、紹介させていただきます。
ポスター印刷|PLEO
予算2万円ぐらいを覚悟していましたが、価格も納期も仕上がりも満足いくものでした。
大判ポスターのプリントを考えているなら要チェックです。
良いプリントをありがとうございました。
16:30終了予定でしたが、薄暮の時間帯は18時近く。
今日しか撮れないからと説明すると、面白そうだと数人でその時を待つことになりました。
周りが暗くなり、タングステン光に照らされた舞台が浮かび上がってきました。
夕暮れ時の雰囲気を楽しんでいたら、福原を離れた卒業生が暗くなった校庭を駆け抜けて来場してくださいました。
入り口に一番近い低学年教室は、教卓を二つ並べて、受付として使いました。
ここには、衝立をふたつ使って、写真の展示、メッセージを書き込んでいただけるように大きな黒板を空けておきました。
「先生、いつ頃分校に?ちょうど別の部屋に年代が重なっているような卒業生の方がいらっしゃるのですが」
かつて分校にいた先生にとって、偶然、当時の教え子との再会の場にもなりました。
『あー!わかるよ!!』
居合わせたのは、先生が在籍中、当時、1年生だった男の子でした。
その頃のアルバムを一緒にめくりながら会話が弾んでいる様子を見ていると、僕たちも自然に笑顔が溢れました。
一緒に話を聞いていた受付の杉原先生と目が合うと、
『あぁやっぱり分校だなぁ。やって良かったなぁ』
写真展を開催した二日間、こんな言葉が、何度出たかわかりません。
多治見から親子で遊びにきてくれたお友達。
実は、お二人とも、2回目の分校です。
前回は、ふれあいスポーツ大会と同時開催した写真展に遊びにきてくれていました。
お花見会、写真展の会計や企画を担当してくれた、卓馬くん、綾芽ちゃんのおじいさん、おばあさん。
久しぶりの分校を満喫してくださいました。
お茶出しや、昼食、おやつは、低学年教室で。
昼食の時間もお客さんが途切れることはありませんでしたが、一緒にいる人たちと、お茶会やおやつを楽しむスペースになりました。
お茶やお菓子などは、先週のお花見会に集めた協力金から調達させていただきました。
一人当たり200円程度の協力金でしたが、ご来場いただいた方に、お茶やお菓子とともに分校のゆったりした時間を楽しんでいただくことができました。
また、展示会当日にたくさんの差し入れをいただきました。
会計報告
先ほど協力金について触れましたので、この場を借りて、会計報告をさせていただきます。
協力金は6,800円集まりました。
お花見会、写真展を開催するにあたり、
トイレットペーパー、ゴミ袋、テープなど必要な備品、お茶菓子、飲み物を購入させていただきました。
購入金額のトータルは、5,213円。
残金は1,587円になります。
ご理解とご協力いただきましたこと、この場を借りてお礼申しあげます。
受付は、『分校の母』こと、杉原先生が、二日間通して担当してくださいました。
お茶出しや案内、お昼の準備と大活躍でした。
低学年教室、中学年教室の窓側には、画板を立てかけて写真を展示しました。
その場所で撮った写真をその場所で見ながら、その場所にいた人たち、写っている人たちから説明が聞けるのも分校写真展ならではの良さ。
来場いただいた卒業生の方たちから、当時の様子を聞かせていただくこともあり貴重な経験になりました。
ご家族揃って久しぶりの分校。
「お父さんたちが集まって本物の竹で竹馬を作ったり、子供たちが桜の木に登れるように、竹を使って棚を作る計画もあったんですよ」
この他、木曽川で捕れたうなぎを分校で食べたこと、今とは比較にならないほどシジミが捕れたこと、分校や福原の話をたくさん聞かせていただいた。
長期間、同じ場所の撮影を続けていると、時間の経過を意識せざるを得なくなることがあります。
撮影を開始した最初の年に6年生だった歩くんが遊びにきてくれました。
『どうしてもお願いがあるんだけど』
『変顔はNGですよっ』
笑いながら、高学年教室の自分の席に着席してくれた。
歩くんは、福原分校最後の野生児。
毎日のように魚捕りにいき、『分校の伝統をちゃんと残して』と、僕や1年生に魚の捕り方を教えてくれた。
6年生3人組が卒業後。
用水で子供たちと魚捕りをした翌日、魚がいっぱいに入ったバケツが分校の玄関に置かれていることがあった。
『きっと歩くんが様子を見て捕ってきてくれたんだ!』と、皆んなで喜んだことがある。
「子供の頃は本当に可愛がっていたよなぁ。よし、せっかくだから昔みたいにおんぶしてやるか」
6年生3人組は、新入生だった双子のかず・たくをとっても可愛がっていた。
あんまりにも一年生のことが気になって、授業開始の時間になっても、低学年教室で双子の一年生の面倒を見ていることもしょっちゅうだった。
当時、低学年を受け持っていた先生曰く「しっかり低学年の子供たちのことを見てくれてと、つい微笑ましくなってしまうけど、自分たちの授業はどうなっているの〜?って、毎回注意していました」
先生方が子供たちの気持ちに一定の理解を示し、子供たちの良さを伸ばしながら指導をしていた様子がわかるエピソードのひとつ。
福原分校の撮影を開始した年の入学式。
1年生だった双子の男の子は、今は、立派な大人になった。
分校の入学式、卒業式は、人数が少ないので、花道を作るのも順繰りに走って待っての繰り返し。
花道を通る時は、ゆっくり歩かないとうまくいかない。
『はい。今の練習はうまくできたね〜もう一回本番前の練習しようか』
『えー?今の本番じゃなかったの??』
分校の皆んなで、『その場でカメラを構えている人たち全員がいい写真が撮れるように』と、何回も繰り返し、終わる頃は皆んなクタクタになってたくさん笑い、晴れの日を祝った。
『準備中に、こんなもの見つけたんですよ!』
小さな子供椅子をひっくり返すと、かず、たくの名前が残っていた。
『よし、和馬がいないから、この椅子を持って写真に写るか』
和馬君は、今年、就職が決まり、現在、福原を離れて研修中。
今年のお花見会、写真展は、参加することができなかったが、出発直前まで企画を練ってくれた。
福原に残り通学を続けている卓馬君は、今回の催しを仕切ってくれた。
『町内会への説明とか、お任せしてしまって大変ではなかったですか?』と、質問すると
『子供たちが好きでやっているから、全然問題ないですよ。まったく心配いりません、子供たちも、いい経験をさせてもらってます』
お父さんは、今回の催しについて、子供たちの様子を黙って見守った。
『急にサッカーしたくなった時は、夜に分校にきて、一人でしてたもんなぁ』
なんで夜?って聞くと、遠慮があったようだ。
写真展初日、佑ちゃんは、夜まで僕に付き合ってくれた。
校舎を出て、校庭を歩きながら校門の次郎桜の下までくると立ち止まって話を続けた。
『明日、写真を必ず持ってきます。俺、ここで本当に良かったって、福原で育ったこと誇りに思っています』
翌日、L版に焼き付けた去年のお花見会の写真をたくさん持ってきてくれた。
『よし。卓馬を手伝って、皆んなで楽しめるようなことをやってみるか』
子供たちは、楽しかった分校キャンプを思い出し、夏にスイカ割り大会か流しそうめんをと考えているようだ。
次回、そう遠くないうちに『地域のみんなが楽しめることを』と、子供たちだけで考えた催しに誘ってもらえるかもしれない。
そう思うと、とても嬉しい気持ちになりました。
すっかり分校名物になった、千賀子先生のアルバム。
今回は、写真展のために貸し出してくれた。
『みんなが、こんなに大きくなったって、成長を実感できるから』
と、いう理由で、集まりがあるといつも持ってきてくれている。
アルバムに収まっている写真は、僕が、かつて分校写真展のために焼き付けたモノクロプリント。
写真展が終わった後に、行き場がなくなるプリントを皆さんに持ち帰っていただいた。
そのプリントの一部を、先生は、今でも宝物のように大切にしてくれているのだ。
そんな千賀子先生の様子を見ていると、嬉しいような、ちょっと照れ臭くなるけれど、プリントの処理はしっかりできていたかチェックする貴重な機会にもなる。
モノクロプリントは、『写真を作るうえで、どうしても通らなければならない過程』として捉えていた。
だから、技術的な部分は自信がないけれど、このアルバムを見たカメラマンの先輩から『駒ちゃん、このプリントなかなか綺麗だがや』と言っていただけたので、ちょっとホッとした。
低学年、中学年の担任をしていた千賀子先生。
『分校には、教育の原点があるんです』
現在も、他校で子供たちと向き合っている千賀子先生は『人数が多いとできないこともあるけれど』としながらも、分校で見つけた『教育の原点』を意識しながら指導を続けているようだ。
今回、ふれあいスポーツ大会のパン食い競争をモチーフにした絵を持ち込んでくださった古池先生。
『本当に、片手間の趣味で書いているだけですよ』
展示中の写真を見て、次のモチーフを見つけてくださったようだ。
いつか、分校お絵かき大会をして、秋にその絵を飾る文化祭でもできるといいなぁ・・・
その時は、先生に、ご指導お願いします!!(笑
写真展を計画した時に、年代が新しいものしか集まらないのが悩みでした。
直接お話をして、協力をお願いできる先生方は15〜6年前ぐらいまで。
どんな写真を持ち寄るか話していると、
『なかなか集まらないと思うので、母の写真で参加します』
3姉妹の長女、綾ちゃんがお母さんのアルバムの展示を申し出てくれた。
最後の卒業生になった友理ちゃんのお母さんも、分校の卒業生だった。
アルバムをめくりながら、どの写真が分校らしいか、今とどのように様子が変わっているかお話を聞くことができた。
一日、写真展に付き合ってくれた子供たち。
写真展の受付などをしていたので、ゆっくり遊ぶ時間を持てなかったけれど仲良く遊んでくれていた。
次男は、お花見会に参加できなかったので、前日から分校に来ることを楽しみにしてくれていた。
『ねーねー草滑りしにいこう!!』
うーん、写真展の当番だから、離れられないんだよね・・・
『ちょっとだけだよ』
宅見先生の声に振り返ると、子供たちは大喜びで木曽川の堤防まで先生を連れて行った。
そして、先生も、一緒に草滑りを楽しんだ。
写真展二日目は、風もない好天。
お昼時。
賑やかだった分校が静かになった。
先生と目があうと、
『わかった!外で食べるんでしょ?急いで準備しようっ』
お花見会は強風のため教室内での開催になってしまったので、すぐに外で昼食をとることが決まった。
お花見給食は、分校の伝統だった。
僕は、久しぶりに、お花見給食を楽しめた。
楽しく、嬉しいことの連続だった2日間。
のんびりと予想していたけれど、たくさんの人たちに足を運んでいただくことができました。
お茶を出し、おやつをつまんで、お話を聞きいてと考えておりましたが、しっかり挨拶もできず失礼も多々あったかと思います。
お花見会、写真展とたくさんの方に、ご理解とご協力をいただくことができました。
説明や案内が行き届かない部分もあったかと思いますが、今回の催しを振り返り、次回に活かしていけるようにと思います。
ご来場いただいた皆さま、ご協力いただいた皆さま、本当にありがとうございました。
今後について
学校という組織がなくなってしまったこの先、 子供たちだけ(成人している卒業生もおりますが)でこの様な企画をし、 対応していくことは難しいかと思います。決まった連絡先、結果報告の場も なかなか持つこともできませんが 『地域の方の楽しみになるように』 『残された施設を地域のために活用していく道はないか』と、彼らは模索しながら前向きに動いていくはずです。
今後とも皆様のご理解とご指導をよろしくお願い致します。
お手伝いを終わって
振り返るとあっというまの出来事でしたが、撮影をさせて頂いた福原分校での15年は これで一区切りがつきました
僕が撮りたかったのは、『日本のどこに暮らしていても美しいと思えるものごと』『無くしてはいけない、残していきたいと思えるものごと』だったのだと感じています。
今まで、人目を憚らず涙を流す人がいても、『写真を撮って、聞けるだけ話を聞き記憶に留める』それ以外できることがありませんでした。
それが、今回は、失われそうになったものごとから、新しい可能性を育てていこうという瞬間に立会い、大好きな写真を使ってお手伝いまでさせていただくことができました。
何度か『できたらいいなが形になる』と書かせていただきましたが、それは、福原の皆さんの寛大さ、優しさがあってこそ。
そして、先生方が、常に『子供』『保護者』『地域』の方をまっすぐに向き、応えておられたからだと間近で見ながら感じました。
そのまっすぐな視線は、時には僕にも、同じように向けていただいていたと感じます。
今回のような場面に立ち会えたこと、大したことはできませんでしたが誇りにさえ感じます。
『地域のために』といえる子供が、行動に移せる子供が、現時点でどれだけいるでしょう。
将来を担っていくはずの彼らは、間違いなく地域の誇りであり、希望そのものだと感じます。
その彼らの気持ちを知って、見て見ぬふり、知らぬふりをする大人がどこにいるでしょうか。
福原の撮影を始める前、撮影を続けている間も、過疎化に悩む地域に何度か足を運びました。
廃校後も子供たちが活動できるように話し合いを続け、育成会立ち上げに尽力していた先生
廃校直前、学校の資料を保存するために深夜まで作業を続けていた先生は 埃をかぶった荷物の山から貴重な資料を見つけ夜中なのに歓声を上げていました
翌年廃校を控え、今後も校舎を最低限快適に使えるようにと、険しい山道を登りきった場所にある学校の水源地を整備していた先生は、空いている教室に資料を集め、学校記念館を作られました
統合先の学校に、いかに今までの伝統や文化を認めてもらえるようにすれば良いか頭を悩ませていた先生
そんな先生方からは、決まって『駒田さんは、これからも色々なところにいくはずだから、この経験を伝え、活かしてほしい』 と声をかけていただいてきました。
ほんのわずかでも、学校を閉じてしまう『自分たちの地域』に関心を持ってもらえる事を切に願っておられました。
せめて、見聞きさせていただいた経験を活かしていくことが、先生方や地域の方の気持ちに応える事になるのだという気持ちでいました。
人によって考え方は違いますが、写真は、やっぱり人のために役立ててこそ写真だと考えています。
近年、写真というと、悪いイメージが先行してしまい、深い意味もなく避けられてしまう場面に遭遇すると悲しい気持ちになります。
刃物は、使い方を間違えると人を傷つける武器になってしまうけれども、正しく使うと素晴らしい作品を作る道具や、美味しい料理を作るためになくてはならない道具にもなります。
ネガティブな面に目を向けて、それを避けていては、美味しいお料理も、人の心を癒す素晴らしい作品も楽しめなくなってしまいます。
写真に携る者として、どうか少しでも正しい写真の使い方、役に立つ写真の使い方を、ご指導いただければと願いも込めてお手伝いさせていただきました。
上手に使いこなすことができれば、きっと克明な記録を残すための道具としていきていくはずですし、たくさんの人たちに喜んでいただけることもできるはずだと考えています。
僕自身の思いも熱く長くなりましたが、最後までお読みくださって本当にありがとうございました。
じっくりと読ませていただきました( ◠‿◠ )
ほんと歴史の深い学校で卒業生や地域の方々に愛されていたのだとよく分かりました。
今後も何かしら地域交流の場などに活用されるといいですね。
ブログのご紹介もありがとうございました。
ほんの少しですが、お仲間になれた気がして私も嬉しかったです。
お疲れ様でした。
大谷さま
お花見会にご参加いただきまして、ありがとうございました。
素敵なお写真の数々に、皆さん、とても喜んでいただけました。
早くも、子供たちが、『次』を色々と考えてくれているようです。
実現しましたら、また、お知らせします。
今後とも、よろしくお願いいたします。
駒田さま
駒田さんの15年が詰まった写真と文章を読ませていただきました。
敬意を表します。
写真展では、会場にいた人がみんな笑顔を見せていたことが印象的でした。
分校は閉鎖されたけれど、関わっていた人たちの心の中では、いまも続いているのだと思います。
長い間、本当にお疲れ様でした。
中村さま
こんにちは。
当日は、ご来場いただきましてありがとうございました。
最初に記事にして頂いてから、ずいぶん時が経過してしまいました。
お陰様で、ほんの少しだけですが、写真家らしい事、大人らしい事ができたかなと思います。
何度も書いては消しを繰り返していますが、良い言葉が出てきません。
夏には何かと考えているようですので、校庭でスイカでも頬張りながら、お話できましたらと思います。
ありがとうございました。
今後とも、よろしくお願いします。