匠たちを撮影
撮影当日。想いが通じたのか、天候の心配は全くなかった。
じりじりと肌を刺すような日差しを浴びながら、お昼過ぎに市役所近くの岐阜新聞本社に到着した。
午後からロケに出る前に、会議室で3人の対談の様子を撮影するためだった。
3人の匠が到着する前に、東京から担当者の皆さんが到着した。
さっと挨拶を済ませ、ロケハンの写真をいくつか見せると、撮影する場所はすぐに決定された。
そのタイミングで、澤木さん、塩谷さん、今泉さん3人の匠が揃った。
「対談が終わった後に、こんな感じの撮影をします」
挨拶を交わしながら、パソコンの画面を見せてお願いしておいた。
対談は、十文字さんが司会進行を務めた。
以前からコミュニケーションが取れているようで、終始、和やかなムードで対談が進んだ。
会話を聞きながら、対談の様子をファインダー越しに見ていると、僕が岐阜に対して持っている、柔らかな空気感が無機質な会議室にも漂っているように感じられた。
カメラを向けると、対談中の匠が、配られた飲み物をアングルから外してくれることさえあった。
「ここに置けばいいですか?」
「凄いです!よくわかっていらっしゃる。もし良かったら、一緒に働いてみませんか?」
「僕も写真をやるので、カメラマンさんと同じ一眼レフを使っています」
こういった対談中にカメラマンである僕が会話を交わすことはあり得ないが、時折、会話に参加し、一緒に笑うこともあった。
途中、休憩が入り、匠たちの作ったものに触れる時間もあった。
製品の性質上、この場で唯一実際に試すことができたのは、『木工職人』塩谷さんの木でできたヘッドフォンだった。
木のヘッドフォンから聞こえてくる音色は、耳元で驚くほどふわりと心地よく広がり仕事を忘れて感動してしまうほどだった。
とてもリラックスした雰囲気の中、匠たちの思いを聞き、それに触れる時間ができたことはとてもプラスに働いた。
「カメラマンさんも匠ですね」
対談中、このように声をかけていただくこともあった。
3人との距離も、じゅうぶん縮めることができた。
このような時間を持てたことは、3人の匠たちの人柄、現場に居合わせた担当者の皆さん、そして地域に根付いている岐阜新聞の存在も大きく関わっているのだろうと思った。
対談が終わった。
「どちらの場所から撮りますか?」
僕は一瞬だけ悩んだが、金華山が見える千鳥橋から撮影することに決めた。
光線を考えると両方ベストな時間帯に撮るのは難しい。
だから、最初に欲しいと要望があった金華山のカットを最優先にという気持ちでそう決めたのだった。
僕は、ロケハンを終えてから、3人をどのように配置して、どのようなポーズで撮るのかまでは決めていなかった。
車での千鳥橋へ向かう途中も、それについては一切イメージを作ろうとはしなかった。 長良川の右岸の道を車は進み、順調に撮影場所に着いた。
ここでは、すぐに終わるはずだった。
決めておいた橋の中ほどまで行くと、想像以上に陽射しがきつく、その強烈な光が正面の空と川面に映った太陽がレンズを突きさした。
眩しすぎて、ファインダーも覗けない。
ロケハンをした時、ここにきた頃は薄曇りになっていたから計算外だった。
ここは、要望があった場所だったが、予備的な場所である。
ここで太陽が少し傾くのを待てば、よい光線状態になるが、それでは次の撮影地が犠牲になってしまう。
両方の場所で撮った写真を見せられる形で撮れるとよいが、それは叶わないことを悟った。
「ここでは無理ですね」
そう言われたが、
「確かに厳しいですね。でも、もう少し、可能な限り粘らせてください」
撮っても撮っても手応えが得られないので、予備だとわかっていても『撮ったけどよくなかったです』『撮れなかったです』とは絶対に言えないと思うと冷や汗が出て、『なんとか見れる写真を』と、撮れば撮るほど持っていた自信が揺らいで疲労感が増した。 何回か立ち位置を変えて、シャッターを切った。
なんとか見れるようにとできるだけの事はしたが無駄であった。
ここで決めきるなら、もう少し日を待たなければならない。
「もう少し待てば良くなりますが、ここで決めますか?でも諦めて次の場所に移動した方が良いと思います」
そう切り出すと、次の場所に移動することに異論はなかった。
車に乗って、ロケハンをした時と同じように、先ほど走ってきた長良川の対岸を川沿いに市内の中心部に向けて走っていった。
最初の場所で撮れた感触は全くなかった。
こんな時は生きた心地がしないものだが、全て順調にことが進んでいるようで落ち着いていられた。
次で決めなければという気負いも全くなかった。
目的の場所に到着する頃には、夕暮れの理想的な光線状態になりつつあった。
『先に千鳥橋に向かったことが正解だった』
最初から千鳥橋に行くことを拒むこともできたし、すぐに諦めることもできた。
千鳥橋に行かなかったら、粘らなかったら、この理想的な光線状態を今向かっているメインの場所で迎える事はできなかっただろう。
最大限、納得してもらえるようにと考えて動いたことが、全部プラスに働いていることを感じ気持ちが高揚した。
夕暮れの光線状態は、駆け足のように変化していく。
十文字さんの運転する車が目的地に近づいてきた頃
『今撮りたい!撮りたい!』と、
最高の状態を迎えていることを承知してもらうために僕はあえて声に出した。
十文字さんは、街並みの外れの駐車場に車を停めた。
「先に行ってますのでゆっくりきてください」
機材を担いで、決めておいた場所に向かって全力で走った。
息を切らせながら撮影の準備を整えると、ついさっき機材を担いで走ってきた道をゆっくり匠たちが歩いてくるのが見えた。
街並みの中をふわりとした風が通り抜けた。
『よし、決まった。一番良い写真になる』
あとがき
できあがった写真を眺めると、少々反省点もあるけれど、お陰様で納得のいく撮影ができました。僕は、3冊写真集を出していますが、全て岐阜県内の題材です。
大好きな場所のひとつであり、特別な思い入れがありました。
今回、少しでも岐阜のためになることができればと撮影させていただきましたが、結局、また、岐阜の皆さんの優しさに甘えさせていただきました。
岐阜の3人の匠、澤木さん、塩谷さん、今泉さんや、岐阜新聞さん、岐阜のPRに役立つことがあったならとても嬉しく思います。
本当にありがとうございました。

追記
撮影から一年が経とうとしています。岐阜を通り、金華山を眺めるたびに、岐阜に着いたことを実感しほっとしている自分に気づきます。
『あの時、金華山をないがしろにしてしまった』
そんな罪悪感が残っているからなのか、ほんのわずかな時間、その場に立ち止り、山頂の岐阜城を眺める機会が増えました。
岐阜のどこから眺めても、金華山が今日も変わらず存在していることに頼もしさを感じるのです。
『どうして金華山を入れて撮らなかったのか?』
『比率的に厳しかったからだ』
『それでも、もっと探せば無理なく写せる場所を探せたのではないか?』
『探してそのような場所を見つけたとしても、主役が二つも入り込んでしまう』
もう終わったことですが、心の中でこんなやり取りを繰り返しています。
いくら考えていても答えは出そうもないので、次の機会にしっかり答えを見つけて形にしてみます。