結局、西側から金華山の撮影を諦めた

撮影地は、長良川に架かる忠節橋のすぐ西側で決まるはずだった。
忠節橋は、路面電車の廃止があったが、最大の特徴であるアーチ橋の形状は昭和23年頃からほとんど変わっていない。
冬には、褌姿の男たちが長良川に入っていくお祭りもここで執り行われている。
真っ先にここに向かったのは、15年ほど前にそのお祭りを報じる記事で、裸の男たちの背景に忠節橋、その後ろに金華山がしっかり写っていたのを見ていたからだった。
カメラを構えてみると、午後から順光すぎるのが気になるが、条件としてはぴったりの場所であったのでほっとした気持ちになれた。
一箇所あては見つけたが、この日は暗くなるまで、市内の街並みや金華山に登ったりして下見を繰り返した。
他にはぴんとくる場所は見当たらなかった。
じゅうぶんな手応えを感じていたが、ひとつ心配事が出てきた。
当日好天に恵まれても、ひょっとしたら長良川の水位が増し、その場所に人が立つことができないかもしれない。
もし、当日、この場所に行き、川の水位が上がっていたら、代わりの場所に切り替えるのは困難である。
山間部で降った雨は、数日後、市内に影響を与えるからだ。
長良川にある小紅の渡しの船頭さんが、こんなことを言っていたことも思い出した。
「市内が晴れて天気が良くても、山の方で降った雨がこちらに流れてくる。そうなると船は出せないこともある。だから市内の天気ではなく山間部の天気、雨量の方が気になる。山間部で雨が降っていると船が流されないか夜に見にくることもある」
その辺りがどうも気になり、再度ロケハンに行くことを決めた。
2回目のロケハンもまずまずの好天に恵まれ、長良川を見ていてもいつものようにゆったりと流れているようにみえた。
念のために目星をつけていた忠節橋の西側に行くと、数日前に降った雨の影響で長良川は増水し、予定していた場所は水没していたのだった。
ここは諦めて、6kmほど西の河渡橋まで川沿いの道を下っていった。
緩やかに蛇行しながら流れている長良川の右岸、左岸とも護岸工事が行われている。
工事がない場所であっても、堤防は無機質なセメントで固められており、撮れそうな場所は見つからなかった。
ロケハン二日目の午前中、忠節橋の西側を、河渡橋から、右岸、左岸、小紅の渡し付近も含め、くまなく探した結果、忠節橋の西側は諦めるしかないことがわかった。
忠節橋の西側に拘ったのは、なだらかに蛇行しながら流れる長良川と、金華山、そして、その金華山の麓に特徴的な忠節橋が見え、岐阜の風景を象徴するような役者が揃っているからであった。
対して、東側、上流に向かっていくと、遠くに伊吹山を望むことができるが、忠節橋が見えなくなってしまうぶん、少し弱くなるように感じた。
時計を確認すると、針は正午を回っていた。
落ち着いた佇まいの喫茶店の存在が頭をよぎり、小柄で控えめなマスターの顔が思い浮かんだ。
その夫婦で営む喫茶店は、まず、自由書房本店があった場所から裏通りに入り、和菓子屋や洋品店などがぽつぽつと並ぶ通りを進んでいく。
この時期、通りに面した和菓子屋では、鮎漁の時期に合わせて『鮎菓子』の幟が掲げられているはずだ。
店先を眺めながら、二本目の小さな交差点を左に曲がっていくと目的の喫茶店に着くことができる。
もともと貸本屋だった建物は、一見すると民家に見えるが、ガラガラと引き戸を開け、焦げ茶色をした板張りの床に足を踏み入れると、右手側の本棚にはぎっしりと古い本が並んでいる。
奥に伸びるこじんまりとしたカウンターから、襟付きの白いシャツを着た小柄で控えめな店主が、『こんにちは。今日は何か取材でも?』と声をかけてくれるのだ。
『あのご夫婦は元気だろうか』
商店街周辺は、駐車場の問題がつきまとうが、この辺りの昔ながらの駐車場は、年配の親父さんたちが入り口付近から丁寧な誘導をしてくれる独特の形態になっていて、そこに車を預けると『岐阜の街に出てきた』という実感が湧いてくる。
効率的なタワー型の駐車場、コインパーキングなどが増え、数を減らしてしまったかもしれないが、人間味溢れる独特の駐車場を利用するというのもまた一興なのだ。
5分もあれば店に到着することができたが、その5分が惜しく長良橋のすぐ近くのファミレスに入った。
店内はとても混雑していた。
メニューを眺め、ランチを頼み、ドリンクバーをつけた。
雑音が溢れる店内で、冷たい飲み物で喉を潤しながら撮った写真をノートパソコンで整理してみたが、どの写真も1枚で決め切れるだけの強さ、この企画に耐えられるだけの画ではなく、全くもってよいイメージができなかった。
この横長の比率に金華山という背景が成立するのか少し引っかかったが、午後からは金華橋周辺の河原、長良橋付近の鵜飼の船着場などを見ながら上流の千鳥橋まで約7キロほどロケハンを続けると決めた。
千鳥橋は、『どうしても忠節橋の西側が無理ならば』と、金華山が収まりそうな場所として、十文字さんが候補に挙げてくれた場所だった。