ダムに沈む町に行ってきた

設楽町八橋



変わりゆくふるさとの姿を残していきたい

この言葉に感動してしまい、最近、旧下山村の撮影に同行しています。
三河山間部は、合併が進み、どこがどのようになっているのかもわからないぐらいになっております。
合併という話に善悪はないと思いますが、その動機が『無駄使いをなくすため』だったり『節約するため』だったりしたら、もっと他に節約するところはあるでしょう?そのように感じています。

よく、駒田さんも育ちはこういうところですか?
なんて聞かれることもありますが、全くそんなことはありません。
完全なシティーボーイです。でも、おしゃれではありません。雰囲気ありません。
でも、取材で分校などへ通っている間に、学校の子どもたちの中で魚捕りは1番上手になりました。竹馬も習得しました。

僕には、ふるさとらしい『ふるさと』というものがありません。
だから、余計に、遠く離れた場所だとしても、全く関わりのない土地の話だとしても、『ふるさと』というキーワードを聞くと勝手にボルテージが上がってしまうのです。
はじめは、下山村の撮影依頼を直接受けている先輩カメラマンに同行だけするつもりでいましたが、一度熱くなってしまった気持ちは抑えることができません。制御不能。

もやもや〜っとしていたので、夜中に飛び出して三河の山間部に向かっていったというわけです。

ダムに沈むふるさとに行ってみた

早朝から撮影をしていましたが、日没直前までぽっかり時間が空いたので、気になっていた三河の木造校舎巡りをして時間を有効に使います。
スマホを見てみると、設楽町に廃校になった校舎が残っていると書かれていたので八橋に向かいました。
今はスマホでこのような情報を得られるなんて、幸せになれたかどうかは別ですが本当に便利になりましたね。

そして、到着したのが最初の写真の八橋という地区。
あと10年程度でダムに沈むということで、建物はすべてなくなっていました。
この風景。
何度か足を運んだ岐阜県の徳山村を思い出します。
大西さん、元気かなぁ・・・・

人っ子ひとりいない場所にいるのは寂しすぎるので、同じ設楽町の川向(かわむき)字上戸神(かみとがみ)へと迷い込みます。

たったひとりの番人に出会った

設楽町 川向の集落


「この道を進めばちゃんと上の通りに出れますから!!」

さて、グダグダと前置きが長くなりましたが、ここからが今回の本題。
上戸神に迷いこみ、元集落と思われる道を進んでくると、道を塞ぐほどの雑草が生い茂っています。
道の両端には、明らかに家が建っていたような形跡はあるものの建物はありません。

とても嫌な予感。

車をなんとか切り返せる場所を見つけたので『ここで引き返すべきか。それともとりあえず進むべきか』と悩みます。
周りを見渡すと神社らしきものが見えるので、車を降りて様子を見に行ったら、おじさんが僕に声をかけてくれたのです。

オー!ジーザスっ!

声をかけてくれたおじさんに駆け寄ります。

「ここを進めばちゃんと出れますからね。大丈夫ですよ」

親切なおじさんにお礼を言って、ここで何をしているのかを尋ねました。(いやいや、君こそというツッコミ覚悟で)

おじさんは、ダムの着工が決まり故郷を離れたが、今でも自宅の手入れをしに月に一度ぐらいここにきているといいます。
「そうですか・・・ここに住んでいたんですね。僕にはとても理解できそうもありませんが、お話だけでも聞かせてもらえませんか?よかったら写真も撮らせてください。お願いします。」
臆病な僕(え〜?写真?いいわいいわと断られてしまったら傷ついてしまうガラスのハートだから)としては、いきなりお願いすることはほとんどないのだけれど、珍しくこの時は自然にお願いすることができた。

「ああそうですか。じゃあとりあえず車をこっちに入れてから」


設楽町川向 神社のトチの木
天然記念物のトチの木 東堂神社 設楽町川向


設楽町 神社


車をおじさんの自宅の敷地に停め直してお話を続けます。

「ここが、えー・・・かわむかい??ですか?なんと読むのですか??」
ようやくここが、設楽町の川向(かわむき)の上の方の字、上戸神という場所だということがわかりました。
この集落には、14〜15軒、坂の下の方の下戸神にも同じく14~5軒の家があったという。
確か合わせて大体30軒ほどだったかなぁ・・・
おじさんは、若々しくシャキッとした雰囲気だったけれど、10年ほど前の記憶もふと曖昧になることもあるからなぁ言いながら、僕の質問に色々とこたえてくれた。
そうそう、40過ぎるとちょっとした記憶なんてないも同然。

このずっと下の方に、枝垂れ桃と書かれているところがあったでしょう?
枝垂れ桃はこちらがもともと有名な場所だったんですよ。ほら、あの土手の上の方に。
それは見事だったけれど、もう手入れする人もいなくなってしまった。雑草がすごくてね・・・
確かに雑草の隙間から、枝垂れ桃だとわかる木がたくさん見える。

まだ、2〜3年前までは、こうやって自宅周辺や道の草刈り、茶摘み、田んぼの世話なんかを集落でやっていたんだけれどね。
ここは、直接ダムの底に沈むというわけではないけれど、ダムで周りは沈んでしまうし、もう離れるしかないという感じでね。
なんとか皆んなで頑張っていたこともあったけれど・・・・
今では、皆んなばらばらに新しいところに移り、高齢になってしまったりで神社も世話できないぐらいになってしまって。
私は元気だし、何かすることはないかと思って、せめて自宅周辺や田んぼの世話をしにきて、今、こうしてここに来ているのは、私ひとりになってしまった。

照れ臭そうにおじさんは笑った。

自宅といっても、もう建物が残っているわけでもない。
親戚や集落の仲間が集まるわけでもないけれど、おじさんはここに戻ってきている。

「最後の番人ですね」

そんないいものでもないけれど、そう。今はひとり。

ここに、こんな風に二階建ての家が建っていたんですよ。
おじさんは、大人になって仕事の都合で集落を離れていたこと、4人兄弟の次男として6人で暮らしていたことなどを 空き地の突き当たりに立ち、手振りを交えて僕に教えてくれた。

町の方に行ったら、ご近所さんのことなんかもほとんどわからないでしょう?
ここでは、学校(八橋小学校)の運動会だとか、すぐそこの神社でも屋根の上から餅まきをしたり、皆んなで集まって協力することが不可欠だった。
休みの日に帰ってくると、そういう集まりにも出て行ってね。
子どもたちは、町に移って便利になったからあまり興味はないみたいだけれど、自分の代でご先祖さまから受け継いできたものが終わってしまうというのはね・・・お墓もここに入るっていっても、それを世話しにくると考えると大変でしょう・・・

ダムができると決まってどういうお気持ちでしたか?
どう過ごしてきましたが?
ストレートに聞く場面なのかもしれない。
けれど、聞かなかった。
今、誰もいなくなった集落に草刈りにきている姿をこうして見ているのだ。

「ここで楽しかったことは何ですか?1番の思い出は?」
代わりに、こう聞いてみた。

うーん・・・
楽しかった思い出ね。
山を友だちたちと駆け回って遊んでいたことかな。
子どもの頃、山が遊び場でね。
みんなナイフを持って遊んでいたんですよ。
時には山にあるツタを切ってぶら下がって遊んだりして。今考えるとあんな斜面で落ちたらどうするんだろうって思いますけどね。

あとは、運動会やお祭りだね。
神社の脇に大きなトチの木があるでしょう?
お祭りの時には、トチの実を餅に入れたりしてね。
そうやって集まって何かをしていた時のことかな。本当に賑やかだった。

山での暮らし。
交通の便も悪く、不便なところで何かと窮屈な部分もあっただろうと街育ちの僕は勝手に思ってしまうのだけれど、生まれ育った土地で、家族や友だち、ご近所さんたちと過ごしたことが、おじさんにとって何より価値のあるもので、それが、おじさんにとってのふるさとなのかもしれない。
おじさんの話を聞きながら、静かな集落を見渡していると、同じ景色もきらきらとしてくるようで不思議だ。
ダムの善悪はどうなのか?
それも大切なことかもしれないけれども、突き詰めていくとふるさとに行き着くのかもしれません。
もうずっと前から、過疎といわれるような場所を見ているけれどいつも悔しく思う。
なぜ、ふるさとに無関心なのか。
自分のふるさとではありません。
でも、同じふるさとです。。。

自分の生まれ故郷と全く同じように考えるわけにもいかないかもしれないけれど、ほんの少し、もし、自分がこの環境に置かれたら?そんな風に自問して、何となく答えを考えてみるだけでも随分と結果は変わってくるのではないだろうか。
もし、ダムを作るから出て行けと言われたら?
もし、お客さんが減ったから鉄道をなくすと言われたら?
もし、人数が減ったから学校をなくすと言われたら?
もし、原発を作ると言われたら?
もし、産廃場を作ると言われたら?しかも他府県で出たゴミの!!
もし・・・・そんな場面はいたるところで日常的にあることなのです。ダムということがあちこちにあるとはいいませんけれど。

もう僕が生まれる頃から、このような問題は始まっていたのです。
ああ、田舎の駅が、学校がなくなるんですね。あの村は合併するんですね。人口が少ないから仕方ないですね。
果たして、自分の住む町なり村なり、ふるさとに対してそんな風に言えるでしょうか・・・

普段の生活で、何を大切にして、何に喜びや幸せを見出すのか。
もう少し、この辺りを考えて行きたくなりました。


設楽町 川向バス停


すいません。写真を撮らせてください。
記録として、しっかり残しておきたいのです。
撮っておかなければ、数年もしたら記憶は曖昧になってしまいます。
だから、撮らせてください。お願いします。

おじさんと住所や連絡先を交換して、家の前に立ってもらった。

もう少しちゃんと草刈りができていたらよかったかもなあ。
おじさんは、雑草が生えた自宅を気にしてカメラのフレームに入ってくれた。

またお会いできますように。だから元気でいてください。僕はまたここで会いたいと思っています。

この道を向こうの方に行くと、同じような大名倉という集落に出ます。
そこも建物はなくなってしまっているけれど、新しく移した神社があるからわかるはずです。
道はそれほど広くないけれど、この車でも気をつけて行けばじゅうぶん走れますから。
気をつけて行ってらっしゃい。


設楽町 川向


挨拶を交わしてから、川向の集落をぶらぶら歩き、何をどう撮ったら良いのか?よく考えもせず、このBlogの駄文と同じくらい下手くそな写真を何枚か撮った。
下手くそでも構わないじゃないか。
撮らなければ何も始まらないのだから。


設楽町


さて、記事中で参考にしたBlogは、Black Face SheepさんのBlogです。
こちらのBlog。
以前からとても気になっていました。
どれも素晴らしい写真が満載なのですが、その中でも特に気になったのが廃校巡りのシリーズ。
このBlogがなければ、今日のおじさんとの出会いもありませんでした。感謝!
masaki
駒田匡紀(こまだ まさき) フリーカメラマン。 撮影や取材のご依頼など、お問い合わせはコンタクトフォーム、メールをご利用いただけます。

2件のコメント

  1. masakiさん、こんにちは。^^
    旧・八橋小学校・・・
    私の大好きな廃校でした。
    廃校としての要素がすべて詰まっていましたねえ。

    ダムの底に沈むと聞いた時は残念でなりませんでした。
    今はもう、取り壊されてしまったのでしょうか・・・
    しまったなあ、もう一回撮りに行けば良かったと後悔してます。
    豊田市の廃校は、財力にものを言わせてどんどんと潰されているみたいですね。

    あ、そうそう、わざわざ私の駄ブログをご紹介していただき、どうもありがとうございました♪

    1. Black Face Sheepさん
      おはようございます。
      八橋小学校、更地になっていましたね。。
      Blogで素敵な写真を見ていたので、とても期待していたのですが^^;

      しまったなぁの連続ですね。。
      なんでもかんでも古いままが良いとは言いませんが、壊して建て替える方法があるなら、極力保存する方向というのもありかと思うのですが。
      その土地で歴史を重ねてきたものというのは、まさにオリジナルの一点物です。
      それを放棄してしまっていいのかなぁと。

      古い、小さいという見方もできますが、大切にしてきたということを、誇りにしてもいいですよね。たとえ文化財のようなものでなくても、その気持ちに人は感動するような気がします。

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