
2017年度限りで、立田南部小学校福原分校が休校になりました。
おそらくこれが、最後の卒業生の送り出しです。
ここへは、ずいぶん長い間通いました。
新一年生として撮影した子どもが、今は二十歳になっているのですから。
さて、このへんで、ひとつ結果報告をしてみます。

愛知県にまだ分校が残っていることを知り、最初は記録として、美しいと感じたものを撮りたかったのですが、撮影を続けるうちにこの地域のために何か役立てることがあればという気持ちが出てきました。
そして、福原分校では、分校を会場にした写真展を二回開催させていただきました。
「分校が地域の中心として存在し続けていくために」(※僕がこんなことをいうまでもなく地域の方からじゅうぶんすぎるほど分校は大切にされていましたが)
それぞれ立場は異なりますが、当時の先生方と話し合い、地域のため、子どもたちのために、学校に通う子どもがいない地域の方たちからも、分校が必要とされる存在になることを夢見ていたからです。
5年10年かけて、無理なく自然に、地元の人から『分校を使ってこんなことをしたい』という声が上がり、いつか地域主導の行事が行われるようにするというのが究極の目標だったように感じます。
行事といっても、大げさなものではありません。
僕がたまたま写真を撮っていたので、写真展という形になっただけで、卒業生の方々とお茶を囲み、当時の地域や分校の様子を話してもらう会でもよかったのです。
一度目の写真展は、先生方と僕との写真を見てもらう展示会でしたが、二度目は子どもたち、保護者の皆さん、旧職員の方からの展示も加え、少しずつ理想に近づいていたように感じられました。
当時の先生方は、小さい分校ながら、(今ではコミュニティスクールなどという言葉も聞くようになりましたが)様々なことに取り組んでいたように感じます。
分校のキャンプが復活したのもこの頃でした。
遠足の時に児童たちに写真を撮ってもらうということも始まっていました。
『また何か分校でできるといいな』という会話も出てくるようになっていました。
それから年月が経過して、保護者の皆さん、卒業生、当時の先生方と共にお花見会という形を作りました。
毎年やろうということも、卒業生が中心になって企画していこうということも、この時になんとなく決まっていました。
今年度休校が決まってしまいましたが、今年は、一年生の時から撮影している双子の『かず・たく』君が、休校になってもお花見会を続けていけるようにと準備を始めてくれたのです。




大学に進学し、地元に残ることになったたくま君が、『地域のために、これからも分校で少しずつでも地域の方や卒業生、先生方と交流する場を作っていきたい』と、今回の話をまとめてくれました。
夕方まで思いっきり遊んだあと、子どもたちが「またこのような会をしたいです」という言葉でお花見会を締めくくりました。
地域の学校がなくなってしまうということは、とても大きな損失で、子どもが少なかったこの分校についてもそれは変わりません。
でも、今回はそれと同時に希望のようなものも感じています。
なぜなら、ここで夢見た目標の本質は、地域を思う気持ちや人との繋がりを大切にする気持ちを残していくことなのだと気がついたからです。
分校という形は無くなってしまったとしても『分校が地域の中心として・・・』そんな当時の目標は、あと何年かすれば形になるはずです。
分校がなくなってしまい、不安や寂しさがありますが、数年後の『その時』に、心からみんなで喜べるような気がします。
そんな風に近い未来を想像したら、楽しくなってきました。
きっとたくさんの人たちが、太郎桜が咲く校庭で笑っているはずだから。
お花見会の様子は、読売新聞朝刊、中日新聞朝刊(2018.4.1ともに県内版)に大きく取り上げていただきました。
これからも、福原分校を見続けていけたらと思います。
簡単ですが、これで、報告を終わります。
ありがとうございました。
こんにちは
10年ほど前に、立田南部小で非常勤講師を勤めていました
福原分校には数度お邪魔したことがあります
子どもたちは、水泳の授業では、分校から本校に通ってきてくれていました
その時、福原分校を通年にわたり撮っている写真家の話を聞きました
わたしも名古屋市内の小学校に勤務するようになり
福原分校のことはそれ以来でしたが
先日、新聞で閉校を知りました
そんな時に
フェイスブックで駒田さんの投稿を見て
あの写真家は駒田さんだったのかと思いました
全味連に名前はあるものの
わたしは幽霊会員です
ご縁を感じております
(^^)
さとうさま
初めまして。
返信遅れてしまいごめんなさい。
立南にいらっしゃったのですね。
ここでは書けませんが色々と複雑な気持ちです(汗
また、何か機会がありましたら、よろしくお願いします。