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国府宮裸祭り。下之一色町なおい笹の奉納 2020

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集合写真

戸田川緑地で集合写真を撮った。© Kobayashi Photoxdesign




昨年に引き続き、下之一色町から国府宮になおい笹を奉納する七年会の撮影を担当させていただきました。

国府宮裸祭り。下之一色町、なおい笹の奉納

昨年、写真をお渡ししてすぐに、
『来年も駒田さんにお願いします!!』
「まだ一年近く先の予定なので・・・」
何度かそんなやりとりを繰り返したけれど、今年早々にこの奉納に携わることが決まっていた。

歯切れが悪い返事しかできなかったのは、お話を頂いた時点では、穴を開けるわけにはいかないし、だいぶ先の話すぎてスケジュールが見当もつかないというのが最大の理由だった。
(昨年、この撮影を受けたのは、代わりに撮影してくれる人を探していたカメラマンさんの話を聞いて、誰も撮影してくれる人がいなくて、自分のスケジュールが空いていればとしていたので)

ほんの少し、寒さや失敗、機材を破損してしまうかもしれないことを恐れていた気持ちがあったのかも知れない。
二度目というのはとにかく難しいのだ。

一度様々な恐怖を乗り越えてしまって安堵してしまうのか、
想像以上よくできたので、もう一度それを越えようとしすぎてしまうからか、
その怖さを知ってしまって怖気付いてしまうからか。
色々と分析してみたけれど、なぜ難しいのか原因はわからない。

ボクシングの中継を見ていると、
『初防衛戦は難しい』
という解説者の言葉を耳にするけれどもそれに近い感覚なのかも知れない。

僕は、宮様の撮影を三度経験させていただいているが、極度の緊張で震えることすらできなかった一度目の代表撮影より、二度目の撮影の方が遥かに難しかった。

『彼等の記録を誰も残せなかった』
ということだけは避けなければならないと思ったので、
僕の予定が調整できない場合は、代わりのカメラマンを紹介することを約束した。

代役といっても、写真が上手なだけでは難しい。
夜明け前から、寒さに耐えて撮影してもらわなければならないし、
天候によっては無理はできないことを了承してもらっているけれども雨天の場合もある。
晴れていたとしても、奉納の最中、あちこちからお酒がたくさん飛んでくる。

それを承知で、彼等の想いを理解して快く受けてくれる人でなければだめだ。

今回は、フォトックスデザインの代表、小林さんに相談すると快く引き受けてくれた。
結局、僕のスケジュールも調整ができたけれど、せっかくの機会なのでと撮影に参加してくれた。
その小林さんに加えて、平和堂稲沢店から撮影に加わってくれたMiyakoさん(初参加。女子の様子を中心に追うようにお願いした)を含め三人で撮影することができた。

素敵な写真をたくさんありがとうございました。
この場を借りて、お世話になった関係者の皆様にお礼申し上げます。

今年も彼等の様子を記録に残すことができたので、撮影した写真を紹介させていただくことにします。

奉納の様子


なおい笹

飾り付けが済んだ『なおい笹』。奉納する笹は電柱ほど長さがある巨大なものだ。地元で竹を調達するのは難しいので11月から下見に行き、当日を含めて5日かけて笹を完成させる。




『僕たちは、年間通してお祭りのためにみんなで準備を進めています』

そのように聞いていたので、はだか祭り当日のみ参加だった昨年と違い、今年は、何度か彼等の集まりに顔を出すようにした。
窓口になってくれたのは、副会長のじょうじさんだ。
いつも、こちらが恥ずかしくなってしまうぐらい、礼儀正しく、調和と規律を重んじ、常に細やかな気遣いを忘れない人物だ。

お祭りでは、一年間蓄えてきたエネルギーを爆発させるが、ここで出会う人たちは皆、真面目で思いやりがあり、冗談でその場を和ませることもできる。
そして何より、勇気、度胸、自ら進んで困難を乗り越えやり遂げる力を持っている。
僕は、『彼等が満足する撮影をしなけらばならない』責任を感じていたが、彼等の姿に触れることができるのを楽しみにしていた。

スケジュール表を見ると9/21の第一回三厄会議から始まっているが、この表にない行事(地域の餅つき、地元のお祭りでのPR活動)や親睦を深めるための集まり、協力を募る挨拶回りなどやることは無数にある。

昨年は、スケジュールの調整がつかず、ほとんど準備の様子を見ることができなかったが、
1月からの神輿・なおい笹の作成、決起集会、笹をよくしなるように量を増やし、形をきれいに整える『増殖』を見ることができた。

ほんの一部しか見ていないけれど、彼等(男子をサポートする女子も含め)は、年間を通じてお祭り中心の生活になっていることは安易に想像できる。

昨年、前厄だった七年会は、今年は奉納の主役である『本厄さん』だ。
この奉納は、前厄の八年会、本厄七年会、後厄六年会の男達がふんどし姿になり、前年後厄だった伍年会が『お礼参』として法被姿で奉納の進行をサポートする。

年上の後厄さんに見守られつつ、年下の前厄さんに立派な本厄としての姿を見せなければならない。

お祭り当日、一番の輝きを放つ存在になる(そうならなければならない)彼等は、準備期間中も『主役』として活動する。
そんな彼等には、責任感からくる重圧が相当のしかかっていただろう。

当日、幸い天候の心配はなかった。

朝から良く晴れたが、前日まで二月とは思えないほどの暖かさが続き、気温以上に寒さが身に染みた。
2月に入ってから名古屋市内の気温は、2/1最高気温11.2度、最低気温2.7度、2/2最高気温13度、最低気温1.1度。
3、4日は最高気温12度を超え、前日の5日も11度を超えていた。
それが、当日6日は、今年最大級の寒気の影響で、最高気温6.1度、最低気温0.7度と一気に冷え込んだのだ。

そんな難しい環境の中、お祭りを見守る大勢の人たちの前で、本厄としての重圧を見事に跳ね返し、今年も立派になおい笹を奉納した。


浅間神社

準備が整い出発直前、参加者は浅間神社の前に集まり、地元議員さん、各年代の会長の挨拶を聞く。本厄である七年会の会長の挨拶は、今まで聞いた中で最高の挨拶だったと評価されるほど集まった人たちの胸を打った。挨拶を聴きながらスマホのカメラを構えていたが涙が流れていた。




なおい笹の奉納

シャッター通りとなった一色の商店街を掛け声とともに進む




商店街にある正色市場。こちらは昨年閉じられてしまった。名古屋の台所として栄えてきた一色の市場も近々閉じられてしまうようで、町の様子は大きく変わりつつある。




国道1号線を超える。今年のなおい笹は、昨年のものより軽めに仕上がった。そのぶん高々と宙を舞った。




なおい笹は、浅間神社を出発すると、人通りのない一色の商店街を抜け、拡幅された国道1号線を渡り、トラック・移動用のバスに笹や神輿、お祭りに必要な様々なものを積み込み、ふんどしを付けるために戸田川緑地公園にゆく。

明け方、3時ごろから撮影していたのだが、あまりの寒さに身体が固まってしまい、思うように動けなくなっていた。
バスが戸田川緑地の広い駐車場に到着し、ふんどしを巻き始めるのは8時30ごろ。
男達は、放射冷却によって一番気温が下がる時間帯に、さらしひとつ身にまとい表に出ていかなければならなかった。


戸田川緑地の駐車場でふんどしをまく。ふんどしは3人がかりで巻きつけられる。酒を吹きかけながら『粋』を意識するためか『腹力』を増すためか、力一杯締め付けるように巻きつける。




ふんどしを巻いてもらう者は、正面に立っている者に支えてもらい、左右に立った男たちがさらしを渡しあって3人がかりで巻きつける。
力一杯さらしを巻きつけるので、外の寒さに加え、酒の冷たさと痛みに耐えなければならない。

全員が、ふんどし姿になるために1時間ほどかかった。


なおい笹の奉納

全員ふんどし姿になると並んで記念撮影をした。最前列には、お祭りを支える女子が並ぶ。「このお祭りは女子がいないと成り立たない」男子が立派に奉納できるようにと地味な作業の連続だが、今日は女子にとっても晴れの舞台でもある




薄いオレンジ色の低い光が突き刺さるように駐車場を照らし『わっせい』『わっせい』と威勢のいい掛け声が響いていた。


国府宮駅前でなおい笹を立てる。笹元は両膝を地面について体で支えなければならない。




なおい笹を支える笹元

撮影前、彼等の活躍を正面からとらえたかったけれど、笹元の正面に回ることができなかった。




戸田川緑地から再びバスに乗り込み、昨年と同様、平和堂稲沢店からスタートする。
沿道は、交通規制が始まり、見物人が集まっている。

七年会の笹は、酒神輿、魚神輿、笹の順で、『見習い』の若者、南陽からの応援を含めて男子44人、女子13人で先頭を進み、その後を前厄(八年会)後厄(六年会)で担ぐ笹が続く。

女子は、男子に触れないように、神輿や笹に向かってお酒を撒きながらついていく。
本厄用に用意された撒き酒は、一升の紙パック144本分だった。

唯一、上から撮れる場所に駆け上がって様子を見ていると、巨大ななおい笹が昨年とは比べ物にならないぐらい高く上がっているのがわかった。

最初に北出公園付近で笹を直立させ、笹から伸びた三本の紐を操りながら笹を回す。
紅白のなおいをぎっしりつけた笹は、電柱と同じぐらいの高さまで上がり、青空に向かって大きな円を描いている。
その間、笹元達は、笹を支えるために集まってきた男達の足元で、紅白の根元を抱え込むようにして支え続ける。

この時、竹がしっかり地面に固定されていないと、竹を直立させることはできない。
笹元は、昨年同様、前日東京から帰郷しお祭りに参加した本厄ひとり、南陽町から力自慢の後輩ふたりの計3人が務めた。
他にも、地元を離れているが、お祭りに参加している者が多数いた。

笹は、国府宮神社にたどり着くまでに6回立てられただろうか・・・
全部で9回立てたと聞いているが、撮影に夢中になってしまい、正確な数も、道のりも覚えていない。

笹元の三人は、体力的にも精神的にも厳しいはずだったが、最後まで勇敢に笹の根元に突っ込み笹を支え続けていた。


国府宮駅前





最高の景色








『今年は七年会の皆んなが最高の景色を見れるように、協力してお祭りを盛り上げたいと思います』
昨年、本厄さんだった六年会、昨年後厄で、今年は法被姿の『お礼参』になった伍年会の人たちから、お祭りの準備や直前の挨拶などでも、『最高の景色』という言葉を度々聞いた。

本厄である七年会も、お祭りに協力してくれている人たちのためにも『最高の景色』を見るということを意識している。

国府宮神社の石の鳥居をくぐり、両脇に見物人がぎっしり埋め尽くした参道を少し進んだ場所に、一色の男達が『眼鏡橋』と呼んでいる長さ3m、高さ1.5mほどの石でできた太鼓橋がある。
最初にこの太鼓橋の頂点に立つのが、七年会の会長を含め役を担ってきた男達だ。
昨年も、この橋の頂点で振り返ったところをきちんと収めて欲しいとリクエストを受けていた。

『最高の景色』を見ることができる場所は、どうやらこの橋の頂点のようだった。

この先、高い場所から見渡せる場所がなかったので、一足先に橋の上に登り、鳥居の前で深々と一礼を終え進んでくる七年会を待った。
橋のすぐ手前で、伍年会の役員さんたちが七年会を迎え入れるように待っている。
『皆んなお前たちのためにこれだけ集まって準備を進めてきたんだ。しっかり応えて男になれ!』
そう言って七年会を励ましていた伍年会会長の元へ歩み寄る七年会会長の姿が見えた。

カメラを構えているので、じっくりと『最高の景色』を理解して撮影する時間も余裕もなかった。
『真剣に祭りに取り組み、様々なものを克服してきた者だけにしか見えない景色なのかもしれない』そう感じて、急いで橋を下って頂点で振り返る姿を待った。
会長、副会長、会計、横断幕が橋の上に揃い後ろを振り返る。

一緒に進んできた男達に笑顔が溢れる。
観衆のざわめきの中、掛け声に合わせて勢いよく神輿や笹が躍動した。
橋のたもとでは、お礼参達が橋の方を見上げ、すぐ脇の方に、今までお酒を撒き続けてきた女子達がいた。

『わっせい!』『わっせい!』『わっせい!』

橋の頂点で、力の限り掛け声を飛ばしている彼等は、一年掛けてきたものすべてをぶつけているようだった。

橋の上の男たちの表情は、涙をこらえているようにも見えた。


国府宮神社 太鼓橋の上 精一杯声をあげ橋の上で堪えきれず涙がこぼれた


彼らは、橋の上でどれぐらいの時間を過ごしただろう。
1分いや5分・・・10分、時が止まっているようにさえ思えた。
撮影データを確認すると4分強、5分弱だった。
長く感じられたが、もう少しこのまま時が止まっていたままでもよかったのかもしれない。
橋を降りる直前、涙を堪えきれなくなった。

彼らはこの橋の上から何を見たのだろう・・・


今年は見栄えの良いポスターを作るためにと、鏡割りの時に笹を立て、隊列を組み直した


橋を越えて、しばらく進むと鏡割りが行われる。

2日の増殖を撮影に行った時に、今年の鏡割りについて打ち合わせを済ませた。

『今年は、今までと違うやり方で鏡割りを行おうと思います』

説明を聞くと、まず、鏡割りをするお酒を前に進め、酒神輿が後に続き、正面に七年会、左右に六年会、八年会が並び、後方で二本の笹を立てるようだ。
注意事項などが説明されて、打ち合わせが進んだ。

「これを前から撮ってください」
話を聞くと、この写真をお祭りのPRに使えるようにと、お礼参たちが中心になって練り上げてきたようだった。

ひとしきり説明が終わった後、なるべく鏡割りのお酒を前に出して、直立させた笹との距離を開けてくれるように頼んだ。

広角レンズを使えば、手前の鏡割りと直立させた笹を収めることができるだろうが、なるべく距離を取って少しでも長いレンズを使って、ポスターにふさわしい画づくりをしたかったからだ。

あまりにも広いレンズを使用すると、後に立てた笹の迫力が失われてしまう。


僕たちは、先回りして予定されているポイントへ向かった。
お礼参たちがここだと目で合図をしてくれた。

その地点から、さらに距離を取って標準レンズぐらいで収まりそうな場所で隊列を待った。

すると、他のカメラマン、スマホを持った人たちが前に前に殺到してきてしまったので、慌ててその集団に加わって、なんとかリクエスト通りの写真を収めることができた。
昨年は、参道に人が入ってくることはほとんどなかったので、こうなる事は頭になかったが、来年からは少し工夫が必要だと感じた。
これでは、カメラが前へ前へと出てしまい、レンズがどんどん短くなってしまう。
何が問題かというと、レンズが短くなれば短くなるほど、不自然な描写になり、肝心の笹がどんどん小さくなってしまい、およそPR用の写真としては物足りないものになってしまう。
それに押し合って無理にとっても、誰一人、完全な写真を残せない。
撮るのは誰でもいいのはずなので、彼等が残したいと考えているものを形にできるように、僕が声をあげたらよかったのかもしれない。

彼らは、より良い祭りを次の世代につなげていくために写真に対する意識も高い。
それを感じていながら、カメラマン目線で現場を仕切れるように打ち合わせをしておかなかったことを申し訳なく思う。


重要文化財に指定されている楼門の手前で笹を立てる。今年は、予定より一回多く笹を立てた。


鏡割りが済み、赤いふんどしをまとった会長が僕を見つけて歩み寄ってきた。
目が合い、僕も、カメラを構えるのをやめて、二、三歩近く。
全身にお酒を浴びている会長は、目に涙が溜まっているようだ。
「駒田さん・・・」
「やっとここまでこれた」と言ったのか「ありがとうございます」というお礼の言葉なのか。
『わっせい』『わっせい』
掛け声と、歓声に遮られてはっきりと聞き取れない。

カメラから完全に手を離し、会長と抱擁を交わすと目頭が熱くなるのを感じた。
「あともう少し。最後までしっかり気合を入れていきましょう」
気持ちを切り替えるために言葉をかけ、会長の肩をポンポンっと叩いて離れた。


桜門の前で深々と一礼する 桜門の前で深々と一礼する


参道の前の車道を渡り、木造の重厚な桜門の前で深々と一礼を済ませて拝殿へ向かう。


拝殿の前を3周する


参道の両脇には、大勢の観衆が待ち構えていた。
昨年、ここでカメラを構えていたら、「おいっ!なんで入っているんだ!!」と、観衆の中から声が聞こえ、警察官につまみ出されそうになったことを思い出した。
頼まれている身とはいえ、私服だったので、一般の人が紛れ込んできたのだと思われたのだろう。

今年は、その反省を踏まえて、一目でお祭りの参加者だとわかるように揃いの法被を手配してもらった。
おかげで、つまみ出される心配はなかったが、大勢の人が笹の到着を今か今かと待っている前に出ていくのは勇気がいる。

少し集中が切れかかったが、勢いよく笹が入ってきて、大勢の観衆が見守る中、拝殿の前を三周し、玉串、副会長が自作した奉納板、酒神輿、魚神輿、なおい笹が奉納された。



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Author: masaki

駒田匡紀(こまだ まさき) 1971.6.13 フリーカメラマンです  撮影や取材など、お問い合わせは、コンタクトフォーム、メールをご利用いただけます。 スタジオについてはPhotoStudioをご覧下さい

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