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Lexus New Takumi Projectの撮影をした話

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資料を見て決めたこと

『えらい撮影を請け負ってしまったかもしれない』

これが正直な第一印象であった。
資料に目を通すと、レイアウトの見本に使われている写真は、電話で聞いていた通り相当な横長の比率の写真だった。
そして純白の紙に刷られた横長の写真一枚一枚を眺めていると、人物の配置、表情、仕草、背景のバランスまで、どれもさりげなく撮られているようであるけれど、洗礼された雰囲気が伝わり、僕には到底到達できそうもない仕上がりに思えてきた。

人物の配置をどのようにするか、どんなポーズをとってもらえば良いか思いを巡らせてみたが、即座にはっきりとしたビジョンを描くことができず、うまくいかないイメージが、過ぎ去った梅雨空のようにどんよりと思考を覆っていった。

しかし、到底自分には手に負えそうもないほど優れた写真だと感じたのは、先入観と原稿という『形』になっているものを見せられているからかもしれない。

『お願いされるということは、自分にそれだけの実力が備わっているからだ』と思い直して、このような素敵な企画を任せてもらえるようになったことを素直に喜ぶことにして気持ちを落ち着かせることにした。

このように考えをまとめた

各都道府県、各新聞社さんが同じフォーマットで匠たちを紹介するこの企画。
  • 岐阜はしっかりやったと自信を持って出せるようにしたい
  • 匠たちの人柄を残したい、伝えたい
  • 岐阜らしさをしっかり出したい
そのためには、工房での撮影よりもロケがぴったりだと感じた。
電話で提案し、ロケハンを行うことを決めた。

他社の撮影は、しっかり練られている事は疑いの余地もなかった。
優劣を競う趣旨のものではないが、ロケでの撮影にすれば、他社の写真に混ざっても、なんとか違和感なく提出できるだろう・・・抜きん出ることもできるかもしれない。

口には出さなかったが、一番を目指すための選択をした。

なぜならば写真には、完成に至るまでの準備、取り組み方、些細な気持ちの揺らぎが写ってしまい、それだけはごまかしがきかない。
撮りきるという、真剣味、気合い、根性(これらが適切な言葉でないなら熱量?精神力?)が写るのだ。
毎晩夜中まで苦行のような撮影を続ける中で、難しい技術はさっぱり身につかなかったが、よい写真を仕上げるためには『粘りに粘って、やれるだけのこと、考えられることはやる』ようは『気合いと根性』だと身についた、唯一、絶対の写真の撮り方だった。
一ヶ月同じ場所でカメラを構え続けていれば、晴れの日も、雨の日も、曇りの日も、虹だって撮れるかもしれない。
適当にやっていたら、その機会すら得られない。
とても簡単なことなのだ。

だからこそ、一斉に写真が揃った時に、真剣味のない、気合がのっていない準備不足の写真はすぐに見抜かれてしまう。
『やりました』というためだけの仕事にせずに、岐阜新聞の記事、匠たちが、一番になるように取り組めば、自然と一点の濁りもなく自信を持って記事にしてもらえるはずだ。

僕の話を聞いた十文字さんは、ロケにするなら岐阜らしく、一目で岐阜とわかるように金華山を入れる場所を探して欲しいと賛成してくれた。
電話で話しながら、そのために必要な場所もすぐにイメージできた。
だから、岐阜市内の長良川沿いに、車を走らせては停めてロケハンを始めたのだ。


Author: masaki

駒田匡紀(こまだ まさき) 1971.6.13 フリーカメラマンです  撮影や取材など、お問い合わせは、コンタクトフォーム、メールをご利用いただけます。 スタジオについてはPhotoStudioをご覧下さい

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