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小浜〜京都北部の木造校舎を巡った話(小浜市編)

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旧松永小学校 小浜市

廃校になったばかりの校舎 旧松永小学校 小浜市




前回の綾部・宮津編の続きになります。
自分の取材と、廃校後の分校を可能なかぎり有効活用したいと願っている卒業生たちの参考のためにと、小学校の統廃合が進む小浜市の廃校を見て回りました。

小浜を通り越し、京都府北部の綾部、宮津市を訪ねてきましたが、いよいよ小浜市へ戻ります。


小浜市へ


小浜市では、僕が頼った上根来のKさんが、市議会議員の方と道の駅で待っていてくれた。
この道の駅は、高速道路のインターチェンジも近く、観光の拠点としての機能も併せ持っている。
休憩所の一角には案内所があり、一定の時間帯、案内係が立っているが、そこに市議会議員数人も自主的に交代で詰めているのだ。

一通り挨拶をすませると、小浜の現状、見どころを議員さんが直接話してくれた。

『一個人である僕に』と恐縮してしまうが、これは、特別なことでもなく、当たり前のことをしているにすぎない様子で、全体で見れば取るに足らないような1という数字を大切にできなければ、10にも100にもならないのだと優しく語りかけられているようでもあった。

日本海側というと、風が強く、鉛色の雲が空を埋め尽くし、雪がおおう重々しい景色を思い浮かべるが、花が咲き、青々と育った稲を爽やかな風が揺らし、純白の砂浜に降り注ぐ眩い日射しが鮮やかに澄み切った紺碧の海面を輝かせる一面も持っている。

このような風土の中で厳しさに耐える柔軟さを身につけているからだろうか、小浜で出会う人たちと接していると、気持ちが柔らかくほぐれ心地よさを感じていることに気づくのだ。
その感覚は、何気なく立ち寄ったコンビニエンスストアでも感じることができる。

今、僕の目の前で話をしている議員さんは、長く寒い季節を乗り越え、初夏を迎えたこの地のように柔らかな輝きを放ち小浜そのものを体現しているようでもあった。

『ごめんなさい。自分たちの地域について考えたり活動している方が、あちこちにいる状況が理解できていません』
戸惑いながら、率直に圧倒されていることを伝えると議員さんは笑った。

『小浜では、普通なのです。お茶を飲みにいき話が進むと、どのように町を変えていけばいいか、何が問題かという話題で盛り上がるんですよ』

目の前にいる議員さんは、そのようなお茶の席の話を、公の場へ出して形にしていくために議員になったとなんのためらいもなく話してくれた。

小浜市が管理している廃校後の校舎について、どのような考えで、どのように維持管理しているのかを話してくれたが、
残すこと、使用許可を出すことも熟慮の結果で、まずは市民の方々の声があって、そこから動いていていることだと教えていただくことができた。

学校は、例え廃校になったとしても、地区の人たちがひとつになる場として最も相応しい(可能性を秘めている)場であり、財産であるが、負の部分も必ず併せ持っている。

限りある資産を有効に活用し活路を見出していくために、古い財産を手放して新しい可能性を手に入れる選択肢もないわけではない。
広大な敷地を生産施設、住宅地、或いは商店などに転換できれば、少なくても金銭的マイナスをプラスに転ずることもできるかもしれない。

後日、市から旧校舎の撮影許可をいただく機会を得た。

その場でも活用の話がありながら保存を続けられなかった校舎に対しては率直に残念な気持ちを持っているようであったし、他の校舎についても『学校は市民の皆様にとってシンボリックなものですから、廃校後の校舎についてもしっかりと検討をしていかなければ』というのであった。


あっという間だが、濃密な三日間が過ぎた。
小浜を発つ直前、議員さんが僕に尋ねた。

『小浜の最大の魅力、よさはなんだと思いますか?』

僕は、答える前に、小浜で見たことを振り返った。

旧下根来小学校へ

旧下根来小学校

旧下根来小学校 小浜市 福井県




上根来出身のKさんに、小学校をご案内しますと言われてやってきたのが下根来小学校だった。

『では、ついてきてください』

車で後をついて行くと、感謝の言葉が書かれた横断幕などが掲げられた、立派な鉄筋の校舎の近くで車を停めた。
つい最近、廃校になったばかりの遠敷小学校である。
聞いていなければ、廃校であると気づけないかもしれない。
正確な数字を把握していないが、実際に、この規模の小学校が廃校になっていることに驚いた。

道路を挟んで反対側に公民館がある。
残された校舎の鍵などはこちらで管理されているようであった。

『すぐに戻ってきます』

Kさんは、公民館に入って行くと、言葉通りすぐ駐車場に戻ってきた。

下根来は、Kさんの生まれ育った上根来から、峠を下っていった場所にある。
通りのちょっとした高台に鉄筋二階建ての白い校舎が残っている。

この場所に学校があるというのが不思議なぐらいだ。

玄関の鍵を開け、校舎の中へ。
二階建ての建物の一階は、職員室、コンピュータールームも含めた教室などに充てられて、二階に音楽室と体育館がある。

校舎の中に入ると
『ここも何らか活用できるはずなのですが』と、校舎の傷み具合などを点検していようでもあった。

ここは、「ねんねんころりよおころりよ」の、子守唄誕生と関係がある土地だという話もあるが、はっきりしたことはわかっていない様子だった。
校舎の入り口すぐに、児童たちが作ったお水送りのポスターが掲げられている。
この行事は、奈良の東大寺で執り行われるお水取りと密接な関係があるとのこと。

体育館に上がると、巨大な校舎のモザイク画と、演奏している児童の様子が描かれた絵が掲げられていた。
向かって左側の校舎の絵が卒業生3人と保護者、担任、右側の絵が在校生2人と保護者、担任が廃校の記念に制作したもののようだ。

全校生徒10人にも満たない学校でも、最期の最期まで活動を通じ、この学校のことを将来に残すのだといった気持ちが伝わってくるようであった。
指導されていた先生方も、規模の大小ではなくこの地区が築き上げてきたものは素晴らしかった、誇りに思って欲しいと願いを込めておられたのではないだろうか。


下根来小学校 体育館

下根来小学校 体育館




下根来小学校 廃校記念作品

『山より高く 空より広く 光れ川のように 歌え風のように』 下根来小学校 廃校記念作品




当時の関係者に直接様子を聞いていないので想像するしかないが、これだけの大きさの作品は、それ相応の気迫がなければとても完成させることはできない。

学校をどのような気持ちで守ってきていたか、この2枚の作品が存在するだけで十分に感じることができるのだ。


職員室 下根来小学校

職員室 下根来小学校




田烏地区へ

田烏の棚田 小浜市

田烏の棚田 小浜市 昼間並べたキャンドルに火を灯して歩く




『棚田のキャンドルは夕方から灯し始めますが、昼にキャンドルを並べる準備があります。何時頃いらっしゃいますか』
お昼からHさんと落ち合い、お手伝いから参加させていただくことになった。

田烏で行われる催しは、夕暮れ時の海を望む棚田の畦道に優しい光を放つキャンドルを並べ”絶景”を鑑賞する。
この絶景を撮影するために、関西圏からもカメラを持った人が足を運ぶ。
今年は、あいにくの空模様だったが、晴れた日には、棚田を一望できる国道162号線の橋あたりにカメラを据えると、西の空が真っ赤に焼ける様子を撮影することができるようだ。

この催しのクライマックスは、キャンドルが点灯した直後から薄暮の時間帯であることは疑う余地もないが、その絶景を作る作業に参加できることも見逃してはならない。

『自分で撮る景色を自分で作る。これは素敵な趣向ですね』
『まだ、その辺りの楽しみ方がうまく伝わっていないようで』
田烏出身のHさんは、主催者側の立場で課題を見つけているようであった。

棚田の入り口の広場にはテントが並び、そこで集まった参加者にキャンドルの並べ方の説明が始まっていた。
夜には、ここは屋台スペースにもなり、町内の方が軽食を提供し賑わう場所になる。

そこから舗装されたゆるい坂道を下って行くと、簡易トイレが並び、催しとしては一通り設備は整っている。
畔には一定の間隔で、乳白の筒を置く人、そこに水を入れる人、キャンドルを浮かべる人、穴の空いた蓋を置いて歩く人が、いくつかのグループに別れ、一列になって歩きながら準備を進める。

撮影をしながら、手伝ったり、また撮影したりで、すぐにHさんとはぐれてしまい不安に思ったが、途中からでも無理なく近くにいるグループに入り作業を手伝うことができた。

準備が終わると、点灯まで2時間ほど時間が空くので、Hさんとともに旧田烏小学校に行くことになった。
鉄筋の田烏小学校は、外観はそのまま、地元の方の熱意で、へしこの生産拠点としてスタートを切っていた。

『不特定多数の人のためではなく、出入りする人たちが限定的なので』
様々な事柄を乗り越えてたどり着いた結果を噛みしめるようにHさんが話してくれた。
鉄筋の校舎だがこちらは耐震化は済んでいない。

かつての学校がそうであったように、自分たちで地域の未来を切り開こうとする試みだ。

校庭脇の青々とした桜の木を眺めながら校舎の裏に回り、階段を二階に上がると地元の方が作業をしていた。

樽が置かれた教室、作業場に生まれかわった教室、そして、当時のままの姿で、ガランとした教室の壁面には、歴代の校長先生の肖像写真が掲げられていた。

『あの壁を見た?やっぱり学校だから、あれがないとそれらしくならない』
教室で作業していた男性が、声を弾ませてHさんに話している。

肖像写真は、改めて二階の教室に並べられたらしい。

春にはささやかなお花見会、学校がなくなり町の行事も減る中で『これではいけない』と、秋にはちょっとした運動会も行われているという。
話を聞いているとじゅうぶんすぎるようにも感じるが、『運動会も、もう少し文化的な部分も持たせていけるといいのかもしれない』と、Hさんは、大切な我が町のために、まだまだ向上心があるようだった。


田烏の棚田

棚田にキャンドルが灯る 奥に田烏の町が見える




夕方、日没前にまた集まり、設置しておいたキャンドルに火をつけて歩く。
暗くなる前に、全てのキャンドルが暖色の光を放っていた。

棚田を見渡せる橋の上、畦道にはカメラが並んでいた。
僕は、最後まで、高さが出てダイナミックな構図を得ることができる橋の上か、田烏の町を写しこめる畦道から撮るか、三脚を持ちながらウロウロと決めかねていたけれど、結局、田烏の町が見える畦道にカメラを構えることにした。

『ここいいですか?』
『こんばんは。はい、どうぞ』

隣り合わせた人は、京都から駆けつけた女子カメラマンだった。

『ここは綺麗なので毎年、楽しみにして来ています。今日はお天気がもうひとつ優れない感じだったのでどうしようかと悩んでいたのですけど、仕事を終えて高速を使って来てしまいました』

このキャンドルのイベントを撮影したら、明日も仕事なのでまたすぐに京都に戻るとのこと。
この”絶景”は、熱心なリピーターを獲得しているのだ。

完全に暗くなる前に撮影を終えて、テントに戻り、消灯の時間までHさんと売店で軽食を楽しんだ。

『並べたキャンドルを少し揺らせば火が消えますから、筒は倒さずに揺らして火を消して歩いてください』『蓋は熱くなっているので触らないように』
終了の時間が近づくと、テントの前に集まった人たちに消し方の説明がある。

以前は、筒を倒して消していたそうだが、風で筒があちこちに飛んでいってしまうので、揺らすだけにして回収は翌日行われる。

途中で火が消えないように、片付けやすいようにと、水の量を調整したり、穴の空いた蓋を使うようにしたり、この催しをよりよくするために試行錯誤を繰り返しているのだった。

ぼんやりと見える畔を歩きながら火を消し、テントの撤収をお手伝いして田烏の棚田を最後まで楽しむことができた。

いきなり知らない土地の集まりに飛び込んで行くのは勇気がいることだけれども、人見知りの性格でも特に心配することもないと思う。

この懐の広さはどこからくるのかと思うが、受け入れる皆さんがオープンにしているのだから、訪ねる側もオープンな気持ちで顔を出せばいいのではないだろうか。

可能な限り参加していけば、自ずと楽しい写真が撮れるかもしれないし、この催しが更に良いものになっていくかもしれない。

鯖街道のマラソン 上根来へ

上根来

ウルトラマラソンの日 上根来




翌日、ウルトラマラソンの様子を見るために上根来へ向かった。
遠敷峠を越え72kmのコースを走るマラソンは、例年、完走できる力を持った人に参加してもらうため、厳しい参加資格を設けているものの、すぐに定員いっぱいになってしまうほどの人気だ。
優勝を狙うようなランナーから、鯖街道にちなんだ仮装をして参加自体を楽しむランナーまで幅広い方々が参加している。

小浜市最後のお手洗い、エイドステーションが、無人集落になった上根来にある。
この上根来は、無人集落になったものの、集落自体はほぼ当時のまま保たれており、福井県の標準的な家屋が生きた状態で残されている。
時代の流れとともに、ここでの生活を諦めざる終えなくなったものの、故郷を大切に残していこうとする人たちが協力して集落を維持している。

鯖を京都に運んだ峠越えのルートだが、この険しい道のりを大陸から上陸した像を都へ連れて行くときにも通ったとのこと。
この上根来の歴史などを集めた古民家が、休日にハイキングなどに訪れる人たちのために資料館を兼ねた休憩所として解放されている。


上根来 小浜市 福井県

この日お天気には恵まれたが風が強かった 上根来 小浜市 福井県




この日は、お手洗い、エイドステーションとしてこの古民家と、通りの脇を一段上がったKさんの自宅のお手洗いを解放していた。
ランナーが駆け抜けて行く沿道に暮らす皆さんも、年に一度のこのマラソンをサポートしながら楽しんでおられる様子であった。

『上根来の最高齢者になってしまった』と笑ってお話ししてくれたKさんのお母さんも、毎年、峠を元気よく駆け抜けていくランナー達をここで応援しているのだ。


上根来

ウルトラマラソンの準備を終えて




朝7時スタートのマラソンに合わせて、ドリンク、果物などの準備を地元の方達が整えてランナーを待つ。

『どうしたらいいですか?』
『ここで応援していればいいのですが、いっぺんにたくさんの人が来たら、水筒などにドリンクをいれてあげてください』

Kさん以外は初対面の方たちばかりだが、ここでも違和感は感じない。
準備を終えた後、ちょっとした話をしていても、マラソンの話からこの地域の歴史の話に繋がっていく。
皆さん、何か研究されているような方かと思ってしまうのだが”普通”の地元の人。

僕の町で、一体どれぐらいの人が、町の歴史を話せるだろうか・・・
ここでは、これが当たり前のことのようだった。

僕と同年代ぐらいの男性も手伝いに来ていたので話してみると『上根来で暮らしたくて移住して来ました』とのこと。
無人集落になってしまった上根来で暮らすのは無理だと判断し、下根来地区に暮らしているという。
彼も、ここの暮らし、市街地とは比較にならないほど濃厚な人との繋がりを大いに楽しんでいる様子だった。


鯖街道ウルトラマラソン 上根来

『僕にも撮らせてもらっていいですか?』記念のセルフィーを撮っていたので声をかけて撮らせてもらった 鯖街道ウルトラマラソン 上根来 小浜市




7時にスタートを切ったランナーがいつここを通過するのかと思っていたが、トップランナーたちは驚くほど早く目の前を通過していってしまった。

『頑張ってくださ〜い』

ランナーひとりひとりに向かって地元の人たちから優しい声援が飛ぶ。

ここには、市の職員が二人、応援に駆けつけ声援を送っていた。
そして、前日出会った議員さんは、ここを通り抜けてさらに上の地点でランナーを待っていた。

『このマラソンには、毎年参加しているリピーターの方もいて、そういった人たちと会えるのも楽しみです。記録を狙っているようなトップの方を足止めできませんが、許される範囲で皆さんの写真をここで撮っています』

鯖街道の石碑の前で『参加の記念に』と、声援を送りながらランナーたちを待ち自主的に記念写真を撮っていたのだった。

この日、このマラソンの準備に携わっている方は、地元を駆け抜けてゆくマラソンを心から楽しんでいる様子だった。
リピーターがつくほど支持されているのは、こういった雰囲気を作り出している沿道の皆さんの気持ちが大きく貢献しているはずだ。

公式サイトの参加者のコメントを見ると、それがよくわかる。

第24回 鯖街道ウルトラマラソン大会


全てのランナーが通過し、エイドの片付けが済んだ。
上根来から、今年度廃校になった国富小学校近くのたんぼを目指した。


どろんこラグビー 国富地区 小浜市

どろんこラグビー 国富地区 小浜市




会場近くの旧国富小学校近くまでくると、たんぼの近くの道は閉鎖されており、泥の中を駆けまわるラグビー選手たちの試合の真っ最中。
時間帯からして、大会が佳境に入っていることがわかった。

泥に足を取られながら、楕円のボールを回し、しぶきを上げながら選手が走っている。
泥の塊のようになったボールは、滑りやすく、パスを上手につないでいくことも難しい様子だ。

通常のラグビーのようにハードな接触はないが、独自のルールのものと進む試合を見ているだけで十分楽しめる。

ボールを追いかけ回す選手たちを地元のテレビカメラが追っている。
パスがうまくつながり、泥まみれになったボールを抱えた選手がぬかるみに足をとられながらも独走状態になった。
もう誰もこの選手に追いつくことはできない。

ゴールラインに近づいた選手が、ボールを保持した両手を伸ばし、飛び込むようにトライを決めると水田のしぶきが盛大に弾け拍手が鳴った。

このたんぼラグビーは2016年に、地元住人たちが企画し始まった。
たんぼでどろんこ遊びをする感覚の方達から現役のラグビー選手まで、幅広い層で楽しめるように企画され、県外からの参加もあるようだ。

『よかったら明日そこのたんぼに飛び込んでいってください』
前日、校庭の除草作業に集まった地元の方と公民館の館長さんに声をかけていただいた。

たんぼのすぐ近くには、国富の公民館があり、廃校になった鉄筋の国富小学校がある。
校庭には一面シロツメグサが覆っていた。

廃校後、校庭が使われることもなくなり、このようになってしまった。

校舎は、本当にどこにでもあるような、多層階の白い鉄筋の校舎、その脇に立派な体育館。
耐震化も完了している。

『校舎は残るけれども、少しずつ学校の風景も変わっていきます・・・』

廃校の決定は、住民の投票で決まった。
若い世代の人たちと、年配の方たちとの意見の違いも出たようだった。

この小学校がある立地は、たんぼが広がっているものの、小浜の中心部に近く、学校の周りは住宅地といった雰囲気でもある。

このような場所で廃校というのもピンとこない。

国富地区の市議会議員さんにも挨拶をさせていただく機会を持てたが、時代の流れとともに変化している価値観を受け入れながらも、地区のシンボルを守りきれなかった負い目のようなものを隠しきれない様子でもあった。


里山オーベルジュ藤屋

里山オーベルジュ藤屋 小浜市 門前9-4
三日間の滞在中、立ち寄った飲食店が里山オーベルジュ藤屋。閉館した由緒ある旅館を再生し、寂れていく里山の暮らしを再生させたいという願いのもと、地元と調和しながら営業していると話を聞いた。機会があればまた訪ねてみたいのでここに残しておく。




小浜市の公民館

小浜では、学校の他に、公民館にも興味を持った。

2018年度で統合のために廃校になった、遠敷、松永、国富、宮川の四つの小学校を全て見てきたが、学校を訪ねるときに、地区の公民館に挨拶に行くことを強く勧められていた。

名古屋で公民館と呼ばれる施設はなく、コミセン(コミニュケーションセンター)として、学校から徒歩5分程度のところに存在しているが、町内会の集まりや教室として使われている程度で、施設以外にどのような機能を果たしているのかはわからない。

小浜市内では、学校に隣接するように公民館が建てられており、館長を含め3人ほど常駐して仕事をしている。
職員さんは地区の催しの準備に出たり、時には、どろんこラグビーが開催されていた国富の公民館のように催しの拠点にもなっている。

『役場の出張所、窓口だと思っていただければわかりやすいかと思います』

各地区に公民館があり、地区のことはまず公民館に相談するシステムができあがっているようだ。

公民館の館長になる人は、地元出身でないととても務まらないといわれるほど、地区の事情に精通していることが求められ、きめ細やかな行政サービスを行う上で公民館はなくてはならない存在のようだ。

宮川の公民館では館長さんは不在だったが、職員さんが学校の資料などテキパキと揃えて出してくれた。

『いったいどういった経緯でこちらにお勤めで?』
『はい。私はこの地区の出身ではないのですが、自分の地区のことをやらなければいけないので、勉強するために公民館に勤めると良いと思いこちらに来ることになりました』

気持ちいいぐらい歯切れのよい返事が返ってきた。
館長さんは、宮川小学校が廃校後、バスで統合先の学校へ通う子供たちのためにと早めに公民館をあけ見送っているそうだ。

旧堅海小学校へ

旧堅海小学校 小浜市 福井県

旧堅海小学校 小浜市 福井県




今回、廃校を巡っているときに、堅海小学校の取り壊しの予算がついたという話を聞き、いつまで残されているのかわからないので、地元の方の協力を得て、市にお願いしたら撮影許可を出してくれた。

撮影の目的は、記録のためと一言添えた。
役場では、財政課の担当者さんと面談する時間もあった。

ご多忙中に、取材許可を受け付けてくださったこと心より感謝いたします。

旧堅海小学校は、内外半島の中程にある、堂々とした木造二階建ての校舎である。

半島という立地だが、すぐそこに海の気配を感じるものの目の前に海は望めない。
県道107号線から右手を見ると、広々とした水田の向こうに、緑の山を背負った木造校舎の存在感が際立っている。

市内には、全く同じ造りの旧阿納尻小学校が残っているが、そちらはすぐ手前を国道が走り、窮屈な立地になっているので、保存状態は良いもののロケーションではこちらに及ばない。

この目線からなんとか校舎を写真に残したいのだけれども、校門の脇にある巨大な楠が校舎の半分を隠していているのでなかなか難しい。

旧堅海小学校は、現在、市の倉庫として利用されて今日まで残されてきた。
向かって左手に体育館や給食の調理室などがあったようだが、一足先に取り壊されている。
外側の様子はたくさん記録に残されているようだが、この校舎の最後になるかもしれない。

撮影した写真の一部をここに掲載しておく。


旧堅海小学校 小浜市 福井県

校門 巨大な楠が目に飛び込んでくる これは昔の神社跡のようだ 旧堅海小学校 小浜市 福井県




給食室の入り口

給食室の入り口 給食室は取り壊されてしまったが内側には入り口が残されている 場所は、校舎の入り口から向かって左手の突き当たり 建物の側面に当たる位置にある




教室の窓

教室の窓 撮影中、風が強くなり雨が降り出した




黒板

校舎二階の教室 この校舎は中学校として使用していた時期もある 廃校後、一時期何かしら活用されていたようだとの話もあるが、市の担当者によると公式な記録としては残っていないとのこと




教室

二階 教室




倉庫として使用中であるため、思うように広い画を得ることもできなかった部分もあるが、記録としては不完全なものになってしまったのは大いに反省すべき点である。

廃墟趣味などが流行り、素敵な写真をたくさんみることができるが、雰囲気や見た目の良さで画作りをするためにきているわけではない。
ここで学んだ人たちが一目見て、様々な記憶を思い起こせてこそ、100年経っても色褪せることのない記録として認められ、記録としての価値を保証されるはずである。

撮影をするからには、それを目指さなければならないと考えている。

取り壊しに向けて保管されている荷物が全て出された直後、可能であれば再度撮影をしてみたい。

校舎の特徴

中央階段 旧堅海小学校 小浜市 福井県

中央階段 旧堅海小学校 小浜市 福井県




小浜市の校舎を巡って気になった点がひとつあった。
校舎の階段に数の単位、手すり部分に角度、柱には高さ、廊下の長さ、間口の広さが記されている。
以前撮影する機会があった旧阿納尻小学校へ入った時から気がついていたが、今回巡った学校には必ずといっていいほど、このような単位が掲げられていた。


旧堅海小学校

階段 旧堅海小学校 小浜市 福井県




お話をしていただいた議員さん、市の担当者さんにも聞いてみたが、誰が発案し、どのような経緯でいつ頃このようなことが始まったのかはっきりとはわからないようだ。
学校で学ぶ子供達に、様々な単位が身近にあるということを感じてもらうための工夫だと考えられるが、これが、どの地域にあるのかもはっきりとしない。

初めは、木造校舎のみかと思っていたが、鉄筋の旧田烏小学校にもこの表記があった。


旧田烏小学校 二階廊下

鉄筋の校舎にもこの表記があった 旧田烏小学校 二階廊下




地域的なものに目を向け知人にもあたってみると、愛知、岐阜、長野、静岡、大阪、兵庫、山口、長崎では、(もちろん一部に過ぎないだろうが)このような表記はないようだ。

小浜市の小学校、渡り廊下を見ることができたお隣の京都府北部の舞鶴市ではこのような工夫が施されていた。

これに興味を持った知人から『学力テストの上位に入っているはずだ』と聞いて調べてみると、上位10位以内に福井、京都が入っていた。

単に、テストの点数がよければよいという話ではないが、結果が出ているのだから、この本質、精神について検討してもよいかもしれない。

次に小浜に行けば、昨年度廃校になった4校の校舎を撮影する機会を得られるであろうから、この工夫が残っていたのか探してみたい。

また、新しく建てられた校舎に、このような精神が受け継がれているのかも大変興味深いのである。


渡り廊下 分かりにくいが緑色の板に単位が書かれている 旧奥上林小学校 舞鶴市 京都府

渡り廊下 分かりにくいが緑色の板に単位が書かれている 旧奥上林小学校 舞鶴市 京都府




名古屋に戻って

小浜を発つ日。
天候は、予報通り本格的な下り坂に向かっているようで、強い風が吹き、揺れる草木の青葉をうっすらと雨が濡らしていた。

小浜で見た出来事を振り返り、議員さんの問いに自信を持って回答した。
僕の答えを聞いた議員さんは、目を輝かせ、笑みを浮かべて大きく一度頷いた。

挨拶を終え、小粒だが、横から降りつける雨を避けるように車に乗り込んだ。

議員さんを見送りハンドルを握ると、先ほどから吹いていた強い風が上空の雨雲を追い払ったのか、雲の隙間から青空が覗き強い光が差し込んだ。
田植えを終えたばかりの田んぼには、雨をまとった稲が日射しを浴びて揺れていた。


『コマさん、そろそろ夏休みのスイカ割りについて話し合いたいのですが』
帰宅後、廃校後の分校の有効活用を目指している分校の卒業生から嬉しい連絡をもらった。

早速、卒業生らと会い、小浜での出来事を話して聞かせた。
やり方や規模は、それぞれの地域によって違い、直接的に何かの役に立つとはいえないかもしれないが、廃校後のことを考えている人たちが、他にもいることを知るだけで力になるものだ。

おかげさまで、小浜を訪ねた最低限の目標を達成することができた。

小浜では、滞在中、たくさんの人たちにお世話になった。
だからというわけではないが、このように自分たちが暮らす地域に愛着と関心を持って生活している人たちが作り上げた小浜市の発展を願わずにはいられない。

たった三日のことだけれども、小浜の人たちは、普遍的な美しさを持っているように感じた。

今後も、小浜の学校について現地の人から学びながら、感じた美しさは何か、どこからくるのか理解を深めていければと思う。

遠く離れた町で暮らしていても、小浜の人たちから、見習い、学ぶことがたくさんあるはずだから。

小浜の皆様、素敵な時間を本当にありがとうございました。



Author: masaki

駒田匡紀(こまだ まさき) 1971.6.13 フリーカメラマンです  撮影や取材など、お問い合わせは、コンタクトフォーム、メールをご利用いただけます。 スタジオについてはPhotoStudioをご覧下さい

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